2016年7月11日月曜日

幸福否定という驚くべき心のしくみ

1 「幸福否定」現象について

笠原敏雄著「幸せを拒む病」第1章に「"幸福否定"という驚くべき心のしくみ」という小見出しの文章があり、次のような説明がされています。

……………………………………………………………………
ここまで、多くの人の場合、自分が本当にしたいことをするのが難しいことや、その結果として、幸福を遠ざける行動を起こしゃすいことを教えてくれる実例をいくつか見てきました。

ここで、これらの日常的な出来事から、どのようなことが言えるかを整理しておくと、次のようになります。

①自分が幸福に向かう時に、あるいはすでに幸福が訪れている時に

②その喜びを意識にのぼらせまいとする強い力が働く

③その時に、心身症と言われる疾患に見られる症状が一時的に出現する

(略)

人聞は、何らかの出来事や状況に直面した時、それが幸福感を呼び覚ますものかどうかを、つまりは、それが自分の進歩につながることかどうかを、心の奥底で一瞬のうちに正確に判断します。

そして、それが幸福感を呼び覚ますものであれば、その瞬間にその幸福を避けようとする態勢に入ります。

その時、「内心」は次のふたつの戦略を同時並行的に使います。

ひとつは、いわば幸福に水を差す形で、心身の症状を瞬時に作りあげたり、行動の異常を起こしたりすることです。

もうひとつは、幸福感を呼び覚ます出来事や状況の記憶を、意識から一瞬のうちに消し去るという操作をすることです。

そうすると、意識の側から見れば、何が起こったのかわからないまま、自分が急にうつ状態になったり、頭痛や胃痛などの自覚的な身体症状が出たり、喘息発作や蕁麻疹などの他覚的な身体症状が出たり、場合によっては、リストカットなどの自傷行為を起こしたりするわけです。

その結果、意識では、自分が幸福に向かっていた、あるいは幸福の状態にあるという事実が全くわからなくなります。

そればかりか、実際には、不幸のどん底に陥ったような感じにすらなるのです。

その時、もし多少の心理的余裕があれば、過去に遡って、その”原因” となる「悪い出来事」を探し始めるでしょう。

……………………………………………………………………

ここに書かれていることが著者のいう「幸福否定」という心の現象です。

著者は心疾患のほとんどがこの「幸福否定」現象によって引き起こされていると考えているようです。

2 私が「幸福否定」現象に興味を持つ理由

私は、この「幸福否定」という万人が備えた心の現象について、趣味活動における知的生産性向上という観点から興味を持って学習しています。

つまり、「幸福否定」現象を理解して、それを少しでも緩和できれば幸福(つまり趣味活動の知的生産性向上)に近づくことができるのではないだろうかと考えます。

3 私が体験している「幸福否定」現象 お茶

ささやかなものですが、私が体験している「幸福否定」現象の一つをメモしておきます。

趣味活動の中で新発見をした、あるいはだれも気がついていないことに気がついたと直観して心がかすかに興奮するような時が時々あります。

その時、なぜか気が付くと、既に自分は机から離れて書斎を抜け、次の間を通り居間に向かっています。

自分は何をしたいのだろうかと自問すると、お茶を飲みに、キッチンにお湯を沸かしに向かっています。

意識の表面では、お茶が飲みたくなったので、その用意に向かったということになります。

この不思議な行動は若いころからありました。

また、若いころ居た職場の上司が同じ行動をとっていました。その上司はグッドアイディアが浮かぶと決まってお茶の機械に向かいお茶を飲みます。

ですから、逆にお茶の機械に向かった時は何かよいアイディアが浮かんだに違いないと想像できました。

私は笠原敏雄さんの「幸福否定」概念を知るまで、グッドアイディア(あるいは新発見)を祝福して無意識が本人をお茶に誘っているのだと好意的現象として何十年も考えて、疑ってきていませんでした。

しかし、万人に遍在する「幸福否定」現象を知って、よくよくお茶行動を分析すると意外なことに気が付きました。

まず、新発見してこれは素晴らしいと思った瞬間に(幸福に突入した瞬間に)、お茶になりますからその新発見について臨機の熟考が行われません。

新発見についてさらに思考を深め豊かにする活動の出鼻がくじかれます。

また、お茶を飲む時に、テレビ、新聞、家族との会話など趣味思考の中断になり新発見のすばらしさが意識の上で希薄になります。

お茶から戻ってきて席につくと、体のどこかが気になったりして(例 耳が痒くなり綿棒で掃除するなど)、いっこうに新発見に取り組みません。取り組みたい気持ちとは正反対の気持ちになることがあります。

新発見を完全に忘れることは少ないにしても、興奮が冷めていて、「もっと煮詰まったら検討しよう」という気持ちになり、その場での臨機の検討が行われないことがほとんどになります。

結局、お茶行動により、新発見の検討が遅れ、趣味活動のテンポが遅くなります。

もっと生産性を向上できる可能性があるのに、そのチャンスを自分でつぶしているように感じます。

大変ささやかですが、私の「お茶」は幸福否定の一環であると考えます。

「お茶」は一例ですが、他にも趣味活動における「幸福否定」現象があるように感じますので、随時メモしておき、その対処法(「幸福否定」現象の緩和法)の学習を楽しみにします。


参考 墨書文字の解釈が出来た瞬間

このような解釈が出来た瞬間にお茶になり、その検討を深め、それを説明図に仕上げるような活動が忘れられたり、後回しになります。

ブログ花見川流域を歩く本編2016.04.04記事「漆業務発展祈願の墨書文字を認識した瞬間」参照






0 件のコメント:

コメントを投稿