2016年7月15日金曜日

記憶消去を指標とした重要性判断

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)に次のような文章があります。

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人聞は、何らかの出来事や状況に直面した時、それが幸福感を呼び覚ますものかどうかを、つまりは、それが自分の進歩につながることかどうかを、心の奥底で一瞬のうちに正確に判断します。

そして、それが幸福感を呼び覚ますものであれば、その瞬間にその幸福を避けようとする態勢に入ります。

その時、「内心」は次のふたつの戦略を同時並行的に使います。

ひとつは、いわば幸福に水を差す形で、心身の症状を瞬時に作りあげたり、行動の異常を起こしたりすることです。

もうひとつは、幸福感を呼び覚ます出来事や状況の記憶を、意識から一瞬のうちに消し去るという操作をすることです。
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ここで、「幸福」を、本人が計画的自主的にしたいという意味におきかえて考えます。

そうすると、計画的自主的に物事を進めようとする場合、それに水を差すように心身症状がでたり、行動異常がでます。

同時に計画的自主的に物事を進めるための出来事や状況の記憶が消し去られます。

このような心の現象が人によって、あるいは状況によって強く出たり、弱く出たりするということとして、上記引用文を理解できます。

さて、自分の趣味活動をふりかえると、新発見とか、斬新な仮説がうまれた活動を記録・メモしたブログ記事の存在が記憶から消えている場合が多くなっています。

いつもはしない過去記事の通読をすると、書いた時は重要であると考えた「新発見とか、斬新な仮説がうまれた活動を記録・メモしたブログ記事」の記憶が他のどうでもよいような記事と比べて、特に薄くなっていることに気が付きます。

どうも、重要な記事は特に忘れやすいという現象があるように感じます。

これまでの自分の人生で、記憶が薄れるという現象はその内容には関係なく均一に生起すると考えてきましたが、どうも選択的であるようです。

自分が計画的自主的にしたいと思っている事項の重要度が高いものから、記憶が消去される傾向がありそうです。

もし、それが事実ならば、計画的自主的にしたいことで特に重要度が高いものは、記憶消去の可能性が高いことを意識して繰り返し思い出すような工夫をする必要があります。

同時に、結果として忘れたことに気が付いたことがあった場合、それが重要度の高い情報である可能性が高いと考えることです。

つまり、記憶消去が重要性判断の指標の一つになることもあるということです。

花見川 弁天橋から上流 日の出

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