2016年7月14日木曜日

幸福否定による現象 自分の進歩や成長を嫌う

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)第3章に幸福否定の現象として「自分の進歩や成長を嫌う」という小見出しの文章があります。

その中での次の事例が紹介されています。

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この編集部長は、書籍部に異動するまでは、同じ出版社で月刊誌の編集長を務めていました。

その時、ある大学教授に、自分の担当する雑誌に連載記事を書いてもらったのです。

その教授は、毎月の締切りにいつも間にあうように原稿を送ってくれました。

その点では、信頼性は高いことになります。

そして、連載はめでたくぶじに終了しました。

ところが、問題はその先にあったのです。

編集長は、この連載を単行本にする企画を立て、教授に許可を得たうえで全編を組み直し、その初校ゲラを教授に送りました。

全体が既に活字になっているのですから、教授は、それに目を通し、必要であれば多少の修正加筆をして送り返すだけでよいわけです。

それだけで著書として出版できるところまで来ていたのです。

ここまでできていれば、著者にとって、最も簡単な書籍出版ということになるでしょう。

にもかかわらず、この教授は、ついにそれができなかったのです。

もちろん、編集長は、何度も催促しています。

加えて、たまたま会合で顔を合わせる機会が何度かあったそうですが、その時にも教授は、「もう少し待ってほしい」と言うだけでした。

そして、信じがたいことに何の進展も見られないまま、いたずらに数年が経過したのです。

最終的に、この出版社は、あろうことか、組版代を棒に振る形で、出版を断念せざるをえなくなったのでした。

この場合、月刊誌の連載の原稿はいつも間にあっていたのですから、原稿を書くこと自体に抵抗があったわけではありません。

それよりも、この教授は、その作品を単行本として出版することに抵抗があったことになるでしょう。

この編集長の話では、定期刊行物の原稿が遅れることは、比較的少ないのだそうです。

問題は、書籍用の原稿なのです。

その違いは、同じ作品であっても、雑誌に掲載された記事に対する評価と、書籍として出版された場合の評価に着目すれば、おのずとはっきりします。

そのことは、このような経過で出版された書籍を考えればわかるでしょう。

連載の間に評判になったとしても、評価されるのは、書籍として出版された時なのです。

書籍の場合には、自分の作品として後世に残りますが、月刊誌の記事であれば、わずかひと月で書店から消え去り、その後は(専門的な論文を別にすれば)ほとんど忘れ去られてしまう宿命にあるのです。

したがって、この教授は、自分の研究や著書が評価されることによる喜びに抵抗があったことになります。

抵抗というものは、他人から見れば、どうしてその程度のことができないのかと、ふしぎに感じられるものが多いのですが、その裏には、やはりそれなりの事情があるということです。

氷山の一角という言葉がありますが、表面に出ている部分は小さくても、その下に大きな意味が隠れているのです。

そのことがわからないと、この疑問は解消されません。

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この事例を読んで、今の自分が忘れていて、このブログにおける学習で気が付きたいと思っていたことが判るヒントになりそうだと直観できましたので、メモしておきます。

私のブログでは趣味次元ではありますが、他の方が唱えていない多くのオリジナル仮説を自分なりに唱えています。

折角だから、日々のブログ記事で終わることなく、まとめた文章にしようと思ったことが何度もあります。

そのための準備をし出したことも何度かあります。

しかし、全ての試みが途中挫折で終わっています。

挫折の仕方は、いつもだいたい同じです。

日々のブログ記事作成に忙しくなって(緊急的に面白いことが生まれてしまい)、ブログ記事をまとめるという活動の意義がだんだん薄らいでいきます。

最後は記憶からなくってしまい、気がついたら「少し前、ブログ記事をまとめようと思っていたけれど、すっかり忘れてしまっていた。今はもう取り組めないから、将来時間ができたら再チャレンジしよう。」ということになっています。

自分の趣味は学問ではありませんが、上記事例でいうような「自分の研究や著書が評価されることによる喜びに抵抗がある」と同類の抵抗が自分にあるようです。

そして、抵抗はその場その場における心理的身体的抵抗だけでなく、記憶を消去するという抵抗があったことが初めてわかり、とても参考になりました。

日々のブログ記事は活発に書き、充実感を覚えることも多々ありますが、それをまとめたいまとめたいと希望しながら、もう3年もたっています。

ブログ記事をまとめるという希望を自分自身が邪魔しています。

自分自身の「幸福否定」現象の本丸に近づいてきたような感想を持ちます。

花見川早朝風景

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