2016年7月27日水曜日

課題の解決を先送りする現象とその生物進化的理由

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の第3章「“幸福否定”から見た異常行動や症状の仕組み」の大項目「幸福否定による現象① 課題の解決を先送りする」では、課題の解決を先送りする現象つまり幸福否定について、その生物進化的理由が書かれていますので検討します。

その部分を引用します。

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幸福否定という意志が、人間特有のものなのか、それとも系統発生の中で必然的に出現したものなのかという問題は難しいテーマですが、いずれにせよ、幸福否定の結果、自分が望む方向へ進歩したり、成長したりすることを避けようとする力が働くこと自体はまちがいありません。

自分の問題行動に懲りたり、困ったりすれば、同じ失敗をしにくくなります。

したがって、懲りたり、困ったりしないようにするのは、同じ失敗を繰り返す余地を残しておくためということになるでしょう。

このことは、前章で説明しておいた通りです。

したがって、これは、能力としてできないということではないので、生物としての本性に逆らった、ある意味で非常に高度な行動と考えるべきなのではないでしょうか。

人間以外の動物には、難しいはずだからです。

そのように考えると、幸福否定は、人間特有のものではないとしても、生物が本来的にもっている特性が、人間になってからきわ立つようになったひとつの結果ということになるでしょう。

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課題の解決を先送りする現象は強弱はありますがほぼ万人に見られるに現象であり、それが幸福否定現象そのもの一つです。

この幸福否定現象では失敗をして凝りたり困ったりすることの無いような状況がつくられ、同じ失敗がいつも繰り返されることが特徴であると著者は繰り返し説明しています。

このような同じ失敗が繰り返される余地が残されるということは、他の生物では種の存続に関わることになるのであり得ないことであり、人間になって際立つようになった生物の本来特性であると説明しています。

しかし、残念ですが、この本では人間になって際立つようになった生物の本来特性である幸福否定がなぜ存在するのか、その意味、意義、理由は一切書かれていません。

生物進化の上で幸福否定現象が意味、意義、理由を持っているという暗示が書かれているだけで、その具体的説明はありません。

なお、著者のホームページ(「心の研究室」)の近況報告欄に「幸福否定の生物学的起源についても推測している」著書の執筆についての記事があります。

その著書(今西進化論に関する著書)の刊行が楽しみです。


幸福否定の生物進化的意味の自分の感想は2016.07.19記事「幸福否定の生物進化における意味」でメモしました。


さて、幸福否定という現象が、生物としての本性に逆らって、非常に高度な行動として、持てる能力を発揮しないという説明に強い興味を持ちます。

人は幸福否定という特性を具備しているので、より高度な行動(=幸福否定)を通して本来能力を発揮していないということになります。

社会通説として「人にはその能力を自動的にセーブする機能があり、本来能力の僅かしか発揮されていない」ということがよく言われています。

この社会通説で言うところの能力自動セーブ機能が幸福否定そのものであるのか、別ものであるのか、今後検討を深めたいと思います。

花見川風景

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