2016年7月19日火曜日

幸福否定の生物進化における意味

このブログでは笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の学習を行っています。

幸福否定という万人にある心の現象は大変興味深いので、詳しく知りたいと考え、学習しています。

興味の主な所在は自分自身の生活改善(趣味活動の発展)のために、有用なヒントを得たいという点にあります。

さて、そのような実践的な興味とは別に、幸福否定現象というものが生物進化の中でどのような意味を持つものか気になります。

「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の最終文章は次のようになっています。

……………………………………………………………………
生物が進化するにつれて意識が次第に浮上して、類人猿が人間になってから最も明瞭な意識が出てきたわけですが、現在の人間の意識のほとんどは、まだ自分の本質を隠蔽する手段という段階にとどまっています。

私の心理療法の経験からも言えることですが、この脈絡で考えると、進化の最終目標は、心の奥底に浴んでいる本心を、意識に浮上させることなのではないかと思います。

それが実現されたあかつきには、幸福否定をする内心が消滅し、本来の能力や徳性が自在に発揮できるようになるということです。

ひるがえって、完壁な能力や徳性が人間に内在しているとすれば、内心という心の層が生み出す複雑なしくみによって、それらを表出しにくくしているのは、あるいは、それを覆い隠そうとするのは、いったいなぜなのでしょうか。

このことは、進化の本質に関係しているに違いないと、私は愚考していますが、いずれにせよ、真の意味で人聞を理解するには、反応やその背後にある抵抗の本質を明らかにすることが不可欠です。

そして、そのための糸口は、私たちの身近にあまねく存在しているのです。
……………………………………………………………………

進化の本質に関係するところまでは述べていますが、それ以上の言及はなく、気になります。

とりあえず学習を始めた現時点の自分の想像をメモしておき、いつか再び進化上の意義を考えるときの材料としたいと思います。

●メモ

幸福否定という万人がもつ心の特性(現象)は、意識がしたいと思うこと(特に計画的、自主的にしたいと思うこと)を意識が気が付かないように邪魔するということです。

アクセルを踏もうとすると、自動的にブレーキもかかってしまう仕掛を人は内臓していることになります。

しかし、最初から最後まで意識のしたいことを完璧に阻止するブレーキでないことは明らかです。

あくまでも意識がしたいことの邪魔をしてそのスピードをダウンさせるのが目的であると考えます。

もし、幸福否定という心の現象がなければ、人は意識することを次々に高スピードで実現してしまいます。

社会全体としては、人間社会を取り巻く環境を細部の細部にわたるまで最大限利用して「幸福」な社会を高スピードで作ってしまいます。

そのような状況が出来た時、人は現存環境に適応しすぎてしまい、後戻りできなくなる可能性が生まれるのではないかと考えます。

現在の環境に極端に適応してしまうと、環境が変化した時自分自身を新たな環境に適応させる可塑性を失ってしまうと考えます。

幸福否定という心の現象は生物進化における暴走防止用スピード調整機能であると考えます。

花見川風景(2016.07.19)



0 件のコメント:

コメントを投稿