2016年7月3日日曜日

プラス思考実験結果の追加考察

2016.07.02記事「プラス思考実験」で、プラス思考が「出来てしまい」、プラス思考が難しいという笠原敏雄さんの解説とは正反対の結果となってしまい、次のように書きました。

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密かに期待した「不安がよぎること、悪い記憶や予測が意識に浮かび上がること、意識が暗雲に覆われてしまうこと」が発生しません。

30分ほどプラス思考を発展させてから終わりにしました。

「確かにプラス思考は難しく、笠原敏雄さんの言う通りです」という予定調和的記事が書けない状況になってしまいました。
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反応を得られず、予定調和的記事が書けないので、いろいろ理屈をつけて、自分なりの解釈(釈明)を書きました。


この記事を書いた翌日の今(2016.07.03)、次のような疑惑が頭の中に浮かび上がりましたので、メモしておきます。

● 「症状の退避」の可能性

「幸せを拒む病」には「症状の退避」という概念が説明されています。

これは次のように説明されています。

「劇的な治療の成功に見えたものは、実は、真の原因が意識に表出するのを嫌って、内心がその手がかりである症状を、積極的に引っ込めてしまったということです。」

「真の原因に関係する出来事にちょっとふれただけで、手がかりを抹消してしまうかのように、おそらく内心が、症状を一瞬のうちに消し去ってしまっていたのです。」

これは著者の療法における現象であって、単なるプラス思考実験で起こるか否かわかりません。

しかし、私がプラス思考が出来て、なおかつ反応が無かった理由として「症状の退避」と同じような現象があった可能性を疑ります。

つまり、私は密かに不安等の反応の発生を期待しながらプラス思考をおこなったのです。

私の意識は注意深く内心の反応を観察していたのです。

その時反応を起こす原因(内心)が意識に表出することを嫌って、反応を積極的に引っ込めてしまったのではないかという疑いを持ちます。

もし、あまり切実性のない思考(プラス思考実験)で、反応を出してしまえば、その反応は意識に観察されてしまい、このブログで公になってしまいます。

反応を司る原因(内心)としては安易に誘き出されてつかまってしまうことになり、戦術的に好ましい対応となりません。

そこで、私の中の内心は、この際は反応を出さないで、意識にはプラス思考を自由にさせておいて、笠原敏雄説と矛盾させるほうが好ましいという戦術をとった可能性があります。


このように考えると、反応をいかに浮かび上がらせ、それを観察するかということが私(この学習をしている私の意識)の最初の大きな課題となります。

そのためには感情の演技を本格的に行うしかありません。

花見川風景

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