2016年12月20日火曜日

目的を手段化することにより取り組みやすくなる

観念的、思い付き的感想ですから、後で役立つメモとなるか、スカとなるかは不明ですが、とりあえずメモしておきます。

生活で各種大小の目的(したいこと)が生まれます。

その目的(したいこと)の前に幸福否定現象が立ちはだかり、自分の能力の無さ、意気地なさなどを思い知らされます。

このような時、その目的(したいこと)が実はより高次の目的達成のための手段、道具であると認識すると、その高次の目的達成に対して幸福否定現象が立ちはだかるように変化するようになるのではないだろうかという仮説です。

高次の目的を達成するための一つの手段、道具になり下がった最初の目的は、自分にとっての意義が減少し、幸福否定現象の発生が弱まるような気がします。

つまり、幸福否定現象を見かけ上回避するために策として、幸福否定現象に悩む目的(したいこと)を手段化、道具化するような高次の目的を構築すればよいということになります。

一般例で考えると例えば次のような状況を想定することができます。

1 目的が手段化、道具化していない場合

職業や生活上で、ある重要レポートを作成する状況になった時を想定します。

そのレポート作成が社会的に見て、自分にとって大切であり、当面乗り越えるべき課題であると考える事になったとします。

一方、その期限は先であり、他にも取り組むべき作業・業務は沢山ありますから、そのレポート作成になかなか手が付きません。

仮に時間がうまれても、そのレポート作成をする気になりません。(幸福否定現象発生です。)

そうこうしているうちに締め切り直前になり、前日徹夜でレポートを仕上げることになります。

仮に、レポートの質が合格点に達したとしても、最良のものに仕上げることは困難です。

2 目的を手段化、道具化した場合

重要レポート作成を次のような「真の目的」「高次の目的」達成の手段であると考えたとします。

例1 中長期的な観点から自分の地位向上(立身出世)を目的と考え、重要レポート作成をそのための能力誇示の一例として組織に示す。

例2 属する組織とは別に自分が独自に(密かに)行う個人研究の一環にその重要レポート作成を位置づける。

例3 …

要するに、自分の目的、興味、したいことは地位向上であり、あるいは独自研究であり、あるいは…であった時、重要レポート作成はそれらのより大切な目的の下に隠れてしまいます。

重要レポート作成に自分の意識焦点が全面的に当たらない状況が生まれます。

そのような状況では、重要レポート作成は順調に進む場合が普通ではないかと考えます。

したいけれどもできない状況が発生し、悶々と苦しむような状況は発生しないと考えます。

なお、「真の目的」「高次の目的」である地位向上とか独自研究とか…とかはその領域で形を変えて幸福否定現象が発生することになるのだと考えます。

風景


2016年12月18日日曜日

感情の演技記事に関する感想

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の中の「感情の演技」説明を参考に、自分なりに感情の演技あるいはそれに類似する活動を実践してみて、次の記事で報告しました。

2016.12.14記事「抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 上
2016.12.15記事「抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 下

この記事を書いた前後に次のような感想をもちましたので、メモしておきます。

1 コンテンツとしての「感情の演技」記述情報しか学習できていない

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)及びそれ以外の専門書(Kindle版笠原敏雄著「幸福否定の構造」など)を含めて「感情の演技」記述は、コンテンツとして書かれています。

著者が自分自身を対象に「感情の演技」を実践して、その様子や結果を記述したものは一切ありません。

あるいは「感情の演技」を実践したクライアントが直接語った体験的な様子や結果は一切ありません。

学習できたのは、著者の研究結果としての「感情の演技」であり、コンテンツとしてまとめられたものです。

研究対象としての「幸福否定」「感情の演技」ではなく、著者自身の実践の様子が是非とも知りたいところです。

著者の心理療法指導の実践ではなく、著者自身の生活における「感情の演技」の様子を知りたいところです。

「感情の演技」でご自身の生活改善がどのように進んでいるのか知りたいと思う気持ちが生まれます。

あるいは著者以外の人が直接記述する「感情の演技」体験や結果を知りたいところです。

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)を読んだ人はおそらく大半の人がそのような感想を持つと思います。

「幸福否定」理論や「感情の演技」が科学の在り方を変えるような原理的意義を有していると考えるだけに、コンテンツを知るだけでは物足りません。

なお、もし機会があれば、笠原敏雄先生に、先生自身が「締め切り間際にならないと仕事のエンジンがかからない」という幸福否定現象を感情の演技でどのように克服できたのか、その様子を聞きたいと思っています。

2 自分の心の内部をさらけ出すことに対する違和感

感情の演技を実践するということは心の弱点を知り、その弱点を補強するということです。

自分の肉体や健康、あるいは知性(知識、思考能力等)について、自分の弱点を知り、それを補強する様子を情報発信することを想像すると、それにはある限界があると考えます。

社会で生活していく上で、肉体、健康、知性における自らの弱点を無制限に記述することには危険が伴うように感じます。

心の弱点を自ら暴露することには、肉体、健康、知性以上に危険が伴うような印象を持ちます。

今回のブログ記事内容は趣味活動における幸福否定現象と感情の演技であり、「実生活」(職業とか家庭とかの生活)から離れたテーマであるので、思い切って記事にしました。

しかし「実生活」に関連したテーマになると、仮に秘匿したいような特段の問題が無いにしても、それを記述してブログ記事にすることははばかります。

幸福否定現象とか感情の演技について「実生活」に関連したテーマで記事を書くことはプライバシー保持の観点から困難であると感じました。

この感想は、1における直接情報(非コンテンツ情報)欠如と通底しているものと考えます。

風景



2016年12月16日金曜日

感情の演技を効果的に行なうコツについて

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の中に「感情の演技を効果的に行なうコツについて」という小見出しの文章があります。

そこには感情の演技を行うコツとして次のような記述があり、走高跳び選手の練習のようにいつまでたっても跳べない高さの練習をする必要性が書かれています。

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感情の演技を効果的に行なうコツについて

感情の演技を効果的に行なうには、コツがあります。

それは、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を設定するということです。

一般的なコツは、目標とすることをできやすくするための工夫という意味ですが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、なるべく難しい条件を選んで行なうほうが効果的なのです。

それは、感情を作ろうとする努力を通じて、幸福に対する抵抗に直面させることこそが、治療に直結するからです。

棒高跳びを例にとって説明すると、バーを低くすれば簡単に挑べますが、それでは実力は伸びません。

実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。

それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。

具体的にどのようにするかについては、次項で説明します。

実際に素直な感情を作るのは非常に難しく、わずか2分であっても、最初は集中すら難しいかもしれません。

何度か繰り返すと、集中はある程度できるようになりますが、それでも感情を作るのは難しく、先に述べたように、むりやり作ろうとすると、あくび、眠気、身体的変化という3種類の反応のどれかが出るようになります。

そうした反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療につながるのです。

そこが自己暗示と全く違うところです。

感情ができなければ治療に結びつかないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力を重ねてゆけば、自然に好転に向かうということです。

目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用
……………………………………………………………………

感情の演技を実践してみて(2016.12.15記事「抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 下」この記述には違和感を感じます。

著者の勘違いが混入しているようにおもいますので、メモしておきます。

著者の勘違いではなく、もし自分の認識力の虚弱性ならば、それが判ればそれで大変うれしいことです。

著者は棒高跳びの例で「実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。」としています。

揚げ足取り的ですが、「簡単には跳べない高さを設定して、それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。」はあり得ないと考えます。絶対にありません。

世界の全ての競技者が「簡単には跳べない高さを設定して、それが跳べたら、バーををさらに高くする」のです。

まだ1回も跳べないのに、それよりバーの高さをどんどん上げるという練習法があるとは聞いたことがありません。

肉体にしても、知性にしても、心にしても合理性を欠く練習法です。

私は、感情の演技を実践してみて、うれしさの感情を味わうことが極めて重要であると実感しました。

著者が説明する感情の演技では、感情そのものを味わうことなく、やみくもにその感情を味わう努力だけするという記述が、どこか「変」です。

著者が指導している感情の演技では、被験者は実際は、感情を味わうレベルが一歩一歩積み重なっているに違いありません。

感情を味わうその味が濃くなっていると想像します。

感情を味わうことなく、感情を味わう努力だけが必要だという記述にはどこか勘違いがあるに違いないと直観します。

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2016年12月15日木曜日

抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 下

2016.12.14記事「抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 上」の続きです。

6 まとめることのうれしさ実感(感情の演技)

ブログ記事をまとめて論説にしたり、それらを掲載するサイト構築にかんするうれしさを意識的に実感しました。

6-1 感情をうまれさせるためには具体的イメージが必要

「ブログ記事をまとめる」ことのうれしさを実感するといっても、それを自分が納得できるレベルで具体的イメージになっていなければ感情がうまれません。

感情を生まれさせる具体的イメージの種類は自分に抵抗があることが判った社会性に関するものにしました。


社会的誇示(社会に認めてもらう)
●社会的に自分の存在や能力を誇示できる。

交流
●作品をつくることにより、掲載サイト訪問者が増え、趣味活動が励まされ、促進できる。
●作品をつくるために専門家のアドバイスを得た方がより良いものになり、その活動は楽しい。
●作品をつくる過程で読者の方々と交流すれば楽しい。
●作品をつくることで共鳴者とグループをつくり、市民活動展開の礎にすることができる。

社会的影響(影響力ある情報の発信)
●作品をつくり公表することで、市民や行政に新たな参考資料を提供し、影響力を発揮できる。世の中に一石を投じることができる。

6-2 うれしさ感情を味わうためには、それに至るプロセスや発展形がよかった

また、うれしさ感情を生まれさせるイメージはその完了形ではなく、その完了にいたる過程(プロセス)と、完了後の次の発展形にしました。

そのほうがうれしさ感情を味わいやすくなります。

6-3 隙間時間にうれしさ感情を味わう

うれしさ感情に実感は次のように行いました。

寝床に入って眠りに入る前、朝目覚めてから起床するまでの時間、早朝散歩の時間、パソコンに向かってブログ記事を書いている時の区切りの時間などです。

1回のうれしさ感情の実感時間は平均して数分になると思いますが、特段時間制限を設けていません。

本来の生活時間侵食はほぼゼロですが、感覚的には一日中ブログ記事をまとめることのうれしさ感情を味わっていることになります。

6-4 うれしさ感情と情景が結びついている

なお、このうれしさ感情の生起活動(感情の演技)ではうれしさ感情となんらかの情景(映像)がいつも結びついていることに気が付きました。

情景の存在しないうれしさ感情は存在しないような印象を受けています。

浮かぶ情景は明瞭とは限りません。

また自分の頭に浮かぶのですから、おそらくすべて過去に見た、体験した情景だと思います。

そして、逆にその情景を頭に思い出すと、うれしさ感情を引き出すことができることにも気がつきました。

7 うれしさ感情を実感した活動の効果

ブログ記事をまとめる活動のうれしさ感情を実感する活動(心トレーニング)を継続しているうちに次のような活動(ブログ活動)を始めることができました。

●過去ブログ記事のふりかえり
ブログ花見川流域を歩く2016.11.19記事「ブログ花見川流域を歩く 6年間のふりかえり
2016.11.24記事「考古歴史学習 6年間のふりかえり
2016.11.30記事「地名学習 6年間のふりかえり
2016.12.02記事「地形学習 6年間のふりかえり
2016.12.04記事「自然風景観察、社会学習 6年間のふりかえり
2016.12.07記事「過去6年間学習テーマのKJ法図解

●サイト 花見川学習ミュージアム準備室 構築 (未公開)
学習記録の記述開始

感情の演技活動を行ったので、これまでできなかったブログ記事まとめ活動に着手できて、着実に作業を進めだすことができたと実感しています。

過去ブログ記事ふりかえりでは抵抗感があったのですが、それを乗り越えることができました。

そしてブログ記事まとめのための基礎作業を進めだしていて、最初のステップを完了できるメドもたちました。

入門レベル、初歩レベルですが、感情の演技の有効性、有用性を体感・体験できたと思います。

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2016年12月14日水曜日

抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 上

抵抗と感情の演技を活用した心トレーニングを行い、趣味活動改善の萌芽を得つつありますので、記録しておきます。

心トレーニングのテーマは「ブログ活動のまとめ」です。

ブログ活動を6年間行ってきて、3年目頃からその活動をまとめたい(論説やサイトにしたい)という気持ちが強まってきているのですが、それが実現できないという幸福否定現象があります。

この幸福否定現象を対象に心トレーニングをおこないました。

その様子を順番に記述します。

1 まとめることのうれしさの列挙

ブログ記事をまとめるとどんなうれしさがあるのか、出来るだけ網羅的に考え着くものすべてを列挙していみました。

ブログ記事まとめのうれしさ列挙例

・社会的に自分の存在や能力を誇示できる。
・一旦まとめることにより、次の作品作り(検討、学習、研究)の礎をつくることができる。
・作品を作るまでに分析や表現に関する各種パソコン技術、知的生産の技術の習得が必要であり、それが楽しい。
・作品を作るには膨大な情報を処理する必要があり、その能力開発が必須であり、それが楽しい。
・作品をつくることにより、掲載サイト訪問者が増え、趣味活動が励まされ、促進できる。
・作品をつくることができるという自分の能力を確認でき、発展できる。
・作品をつくるエネルギー発揮を家庭生活等と調和させる必要があり、その調和能力向上が楽しい。
・作品をつくるためには本格的研究的取り組みにより補強する必要が生まれ、本格研究の道に入る。
・作品をつくるために専門家のアドバイスを得た方がより良いものになり、その活動は楽しい。
・作品をつくる過程で読者の方々と交流すれば楽しい。
・2013年に作品をつくると決意してそれが失敗して、その失敗を挽回することができ、自信が生まれる。
・作品をつくるためには日々の散歩でそのことについて継続して思考する必要があり、散歩の思考が充実する。
・これまでの活動を体系的整理すること自体がチャレンジャブルで楽しい。
・作品をつくり公表することで、市民や行政に新たな参考資料を提供し、影響力を発揮できる。世の中に一石を投じることができる。
・作品をつくることで共鳴者とグループをつくり、市民活動展開の礎にすることができる。

2 抵抗を利用したうれしさの計測

列挙したうれしさについて、そのうれしさを深く実感してみました。

うれしさについて深く実感できるもの、あまり実感できないものがあります。

また実感しようとすると睡魔が襲ったり、眉毛や鼻を無意識に触りたくなったり、お茶を飲みたくなったり、別の興味が頭に浮かぶものもあります。

つまり、最初列挙したうれしさについて、自分の心が「その通り」と感じているものと、「抵抗」しているものがあることが判ります。

その結果を2段階で表示します。

●●はうれしさを深く実感できるもの。
●はうれしさをあまり実感できないもの、あるいは肉体的心理的抵抗が生まれるもの。

●社会的に自分の存在や能力を誇示できる。
●●一旦まとめることにより、次の作品作り(検討、学習、研究)の礎をつくることができる。
●●作品を作るまでに分析や表現に関する各種パソコン技術、知的生産の技術の習得が必要であり、それが楽しい。
●●作品を作るには膨大な情報を処理する必要があり、その能力開発が必須であり、それが楽しい。
●作品をつくることにより、掲載サイト訪問者が増え、趣味活動が励まされ、促進できる。
●●作品をつくることができるという自分の能力を確認でき、発展できる。
●作品をつくるエネルギー発揮を家庭生活等と調和させる必要があり、その調和能力向上が楽しい。
●作品をつくるためには本格的研究的取り組みにより補強する必要が生まれ、本格研究の道に入る。
●作品をつくるために専門家のアドバイスを得た方がより良いものになり、その活動は楽しい。
●作品をつくる過程で読者の方々と交流すれば楽しい。
●●2013年に作品をつくると決意してそれが失敗して、その失敗を挽回することができ、自信が生まれる。
●●作品をつくるためには日々の散歩でそのことについて継続して思考する必要があり、散歩の思考が充実する。
●●これまでの活動を体系的整理すること自体がチャレンジャブルで楽しい。
●作品をつくり公表することで、市民や行政に新たな参考資料を提供し、影響力を発揮できる。世の中に一石を投じることができる。
●作品をつくることで共鳴者とグループをつくり、市民活動展開の礎にすることができる。

3 うれしさ計測結果の分析・考察

うれしさを能力開発、社会的誇示、交流、社会的影響の4つに大分類して、それごとに計測結果をみると次のようになります。

能力開発
●●一旦まとめることにより、次の作品作り(検討、学習、研究)の礎をつくることができる。
●●作品を作るまでに分析や表現に関する各種パソコン技術、知的生産の技術の習得が必要であり、それが楽しい。
●●作品を作るには膨大な情報を処理する必要があり、その能力開発が必須であり、それが楽しい。
●●作品をつくることができるという自分の能力を確認でき、発展できる。
●作品をつくるエネルギー発揮を家庭生活等と調和させる必要があり、その調和能力向上が楽しい。
●作品をつくるためには本格的研究的取り組みにより補強する必要が生まれ、本格研究の道に入る。
●●2013年に作品をつくると決意してそれが失敗して、その失敗を挽回することができ、自信が生まれる。
●●作品をつくるためには日々の散歩でそのことについて継続して思考する必要があり、散歩の思考が充実する。
●●これまでの活動を体系的整理すること自体がチャレンジャブルで楽しい。

社会的誇示(社会に認めてもらう)
●社会的に自分の存在や能力を誇示できる。

交流
●作品をつくることにより、掲載サイト訪問者が増え、趣味活動が励まされ、促進できる。
●作品をつくるために専門家のアドバイスを得た方がより良いものになり、その活動は楽しい。
●作品をつくる過程で読者の方々と交流すれば楽しい。
●作品をつくることで共鳴者とグループをつくり、市民活動展開の礎にすることができる。

社会的影響(影響力ある情報の発信)
●作品をつくり公表することで、市民や行政に新たな参考資料を提供し、影響力を発揮できる。世の中に一石を投じることができる。

うれしさを本当に実感できていたのは能力開発の面だけであったことが判りました。

ふりかえると、社会的誇示に関して積極的に発表するなどの意欲にこれまで欠けていました。

また交流も最小限にしてきています。

社会的影響も限定してしまっています。

社会的誇示、交流、社会的影響は相互に関係していますから、まとめて社会性といえると思います。

その社会性の面で幸福否定が存在していることが見えたといえます。

ブログ記事作成において、自分の能力開発には抵抗はなかったけれども、社会の中で交流して、自分が見つけた情報を社会に知らしめ、社会にそれを有益情報として活用してもらうという面で、幸福否定が存在していたと気が付くことができました。

4 これまでまとめられなかった理由とその考察

これまでなぜブログ記事をまとめる活動が成功しなかったのか、その理由を列挙してみました。

・興味が日々のブログ記事に向かい、まとめの興味が継続しなかった。
・ブログ記事作成で手一杯であり、まとめに裂く時間がとれなかった。
・まとめのための、過去記事整理が膨大な作業であり、作業を始めたが頓挫した。
・興味を抽出するという作業を始めたが、入口で興味を失った。
・まとめ作業を継続する興味継続の仕掛がなかった。
・まとめ作業に期限がないから、そのまま放置した。
・まとめ作業をしないことに対する外圧がなかった。

以上を要約するとつぎのようになります。

◆まとめより楽しいこと(日々のブログ記事作成)があり、それで手一杯であった。
◆まとめ作業に対するうれしさ・楽しさの実感を創出できなかった

まとめ作品をつくることで生まれる社会的影響力発揮に対する幸福否定が存在していたと推察できます。

まとめ作品をつくることに関する技術開発とか能力開発とか、自分の能力開発に対する幸福否定ではなく、作品が持つ社会的影響力を否定してきたようだと感じます。

論理ではまとめ作品をつくることの大切さを理解しながら、感情面では、社会的影響力を発揮するような自分の存在を、内心が否定してきたから、まとめ作品が実現しなかったと考えることができます。

5 この事例における幸福否定

以上の心トレーニングにより、この事例における幸福否定の本質はそれによって社会関係を狭め、弱め、破壊することにあるように感じます。

そうすることによって、社会性に関する自分の能力や自信を否定し、一種の問題を起こしているのだと思います。

この事例の場合、内心が行う幸福否定の真の目的は本人の社会関係の制限や破壊であるような気がします。

この事例の解釈は抵抗を指標にして一応はできたと直観できました。

次の記事で、この事例を感情の演技で解決していくプロセスの最初段階の様子を記録します。

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2016年12月5日月曜日

感情の演技に関する感想

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の中の、感情の演技について学習しています。

感情の演技に関する感想をいくつか列挙してメモしておき、後日じっくり検討したいと思います。

1 方法と効果の因果メカニズム

感情の演技に関して、実践的方法と効果がかかれているのですが、なぜ効果があるのかその理由はかかれていません。

したがって、方法と効果の間に因果関係はあっても、そのメカニズムはブラックボックスに入っていて不明です。

しかし文中に「自然な感情を作ることが、化学実験の触媒のような働きをして、本心に潜む率直な感情が意識に引き出されてしまう…」という記述があり、著者のイメージがわかるような気がします。

抵抗が存在することがらについて自然な感情(例 うれいしいという感情)をつくれるようにすれば、抵抗が減じるというメカニズムがあることはイメージできます。

そこで、自然な感情をつくる機会をできるだけ増やして、どのように抵抗が減るか生活の中で自分を観察していきたいと思います。

自然な感情を作るとなぜ抵抗を弱めることができるのか、自分の観察もふまえつつ、そのメカニズムをもっと学習したいと思います。

2 感情の演技の重要ポイント

この図書では、

●方法論として、自然な感情を出そうとするとき生じる抵抗の強い方向に、強い方向に進まなければ効果がない。

と述べられています。

重要なポイントであると考えます。

うれしさ感情をつくれたとき、それはその場面での抵抗を弱めることができたと確認できます。

同時にうれしさ感情を作れないとき、その場面での抵抗が強いことの確認ができたことになります。

うれしさ感情をつくって、一歩一歩抵抗虚弱化活動をすすめることができるということです。

この図書に、いつまでたってもバーを越えられない走り高跳び選手として感情の演技者を紹介していますが、何か違和感を感じます。

次々にバーを越えている選手であって、その目標に限界はないということだと思います。

3 一人で行うこと

この図書では、

●ヨガや座禅で指導者に方法を教えてもらえれば自分でやりますといえば相手にされないように、感情の演技を一人で行うことはできない。

ことが述べられています。

この指摘は病気治療ならいざ知らず、「締め切りまでに計画的に仕事ができるようになる」程度のことを望んでこの図書を読んでいる一般人(私)にはほとんど越えられない(正確には、越える意欲や必要性が最初から生まれない)ハードルです。

この記述は、この図書で定義する感情の演技(著者のTMマークがつくべき用語だと思います)とは別に、自分ができる活動として感情の演技似活動(感情の演技もどき活動)を自由にしていく時には考慮する必要はないと思います。

原理原則の学習はこの図書から行い、またできるだけ具体的方法もこの図書に近づけるようにしつつ、現実には自分一人で実施可能な感情の演技似活動を展開したいと思います。

風景

2016年12月3日土曜日

幸福否定が完全徹底しない理由

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)で説明されている幸福否定は万人にある心の現象のようです。

その強弱は個人によって多少異なるようです。

しかし、どの個人でも完全徹底はしないようです。

もし幸福否定を全個体で完全徹底すれば種として存立できないと想像します。

締め切り間際まで仕事が手につかないという身近な症状でも、最後には、幸福否定は手綱を緩めて直前徹夜作業程度は許します。

知的生産の技術本にも、締め切り直前集中作業が効率的であるとわざわざ書いてあるものがあるほどです。

幸福否定という名称は、うれしさや自信を否定する心の現象という意味に由来するようですが、私は否定するという側面に本質があるとは考えられなくなっています。

否定することに本質があるのなら、完全否定すればよいのであって、わざわざ抜け道をつくる必要などはありません。

仕事をさせないことが目的なら、締め切り間際のある時点まで仕事をさせないだけでなく、締め切りまで完全に仕事をさせないようにして、つまり完全否定して、うれしさと自信を完全に打ち砕けばよいと思います。

しかしそうなりません。

抵抗の強さが締め切り直前になると弱まることを示す図
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用

幸福否定はうれしさや自信を制限し小出しにする装置のように感じます。

幸福を制限し小出しにして、幸福の有難さやすばらしさを味合わせ、それに向かって努力すること、克己することを個体に誘っているように感じます。

各個体(個人)の中には幸福の制限小出しに満足するものもいれば、克己して幸福制限をある程度解除するものもいる状況が生まれます。

種社会としては克己して幸福制限をある程度解除できる能力を有する個体の子孫が増えるような仕組みになっていて、種の繁栄に役立つようになっていると考えることも可能です。

このように想像すると、幸福否定という個体における現象が種レベルでの幸福(種の能力向上とそれに伴う繁栄)の原動力になっていると捉えることもできます。

幸福否定という心の仕組みが進化のなかで消滅すべき遺物と考えるのは早計だと思います。

幸福否定を高等生物進化の隠された仕掛として積極的に評価できるかもしれません。