笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)で説明されている幸福否定は万人にある心の現象のようです。
その強弱は個人によって多少異なるようです。
しかし、どの個人でも完全徹底はしないようです。
もし幸福否定を全個体で完全徹底すれば種として存立できないと想像します。
締め切り間際まで仕事が手につかないという身近な症状でも、最後には、幸福否定は手綱を緩めて直前徹夜作業程度は許します。
知的生産の技術本にも、締め切り直前集中作業が効率的であるとわざわざ書いてあるものがあるほどです。
幸福否定という名称は、うれしさや自信を否定する心の現象という意味に由来するようですが、私は否定するという側面に本質があるとは考えられなくなっています。
否定することに本質があるのなら、完全否定すればよいのであって、わざわざ抜け道をつくる必要などはありません。
仕事をさせないことが目的なら、締め切り間際のある時点まで仕事をさせないだけでなく、締め切りまで完全に仕事をさせないようにして、つまり完全否定して、うれしさと自信を完全に打ち砕けばよいと思います。
しかしそうなりません。
抵抗の強さが締め切り直前になると弱まることを示す図
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用
幸福否定はうれしさや自信を制限し小出しにする装置のように感じます。
幸福を制限し小出しにして、幸福の有難さやすばらしさを味合わせ、それに向かって努力すること、克己することを個体に誘っているように感じます。
各個体(個人)の中には幸福の制限小出しに満足するものもいれば、克己して幸福制限をある程度解除するものもいる状況が生まれます。
種社会としては克己して幸福制限をある程度解除できる能力を有する個体の子孫が増えるような仕組みになっていて、種の繁栄に役立つようになっていると考えることも可能です。
このように想像すると、幸福否定という個体における現象が種レベルでの幸福(種の能力向上とそれに伴う繁栄)の原動力になっていると捉えることもできます。
幸福否定という心の仕組みが進化のなかで消滅すべき遺物と考えるのは早計だと思います。
幸福否定を高等生物進化の隠された仕掛として積極的に評価できるかもしれません。
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