笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の中に「感情の演技を効果的に行なうコツについて」という小見出しの文章があります。
そこには感情の演技を行うコツとして次のような記述があり、走高跳び選手の練習のようにいつまでたっても跳べない高さの練習をする必要性が書かれています。
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感情の演技を効果的に行なうコツについて
感情の演技を効果的に行なうには、コツがあります。
それは、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を設定するということです。
一般的なコツは、目標とすることをできやすくするための工夫という意味ですが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、なるべく難しい条件を選んで行なうほうが効果的なのです。
それは、感情を作ろうとする努力を通じて、幸福に対する抵抗に直面させることこそが、治療に直結するからです。
棒高跳びを例にとって説明すると、バーを低くすれば簡単に挑べますが、それでは実力は伸びません。
実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。
それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。
具体的にどのようにするかについては、次項で説明します。
実際に素直な感情を作るのは非常に難しく、わずか2分であっても、最初は集中すら難しいかもしれません。
何度か繰り返すと、集中はある程度できるようになりますが、それでも感情を作るのは難しく、先に述べたように、むりやり作ろうとすると、あくび、眠気、身体的変化という3種類の反応のどれかが出るようになります。
そうした反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療につながるのです。
そこが自己暗示と全く違うところです。
感情ができなければ治療に結びつかないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力を重ねてゆけば、自然に好転に向かうということです。
目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用
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感情の演技を実践してみて(2016.12.15記事「抵抗と感情の演技を活用して得た活動改善の萌芽 下」この記述には違和感を感じます。
著者の勘違いが混入しているようにおもいますので、メモしておきます。
著者の勘違いではなく、もし自分の認識力の虚弱性ならば、それが判ればそれで大変うれしいことです。
著者は棒高跳びの例で「実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。」としています。
揚げ足取り的ですが、「簡単には跳べない高さを設定して、それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。」はあり得ないと考えます。絶対にありません。
世界の全ての競技者が「簡単には跳べない高さを設定して、それが跳べたら、バーををさらに高くする」のです。
まだ1回も跳べないのに、それよりバーの高さをどんどん上げるという練習法があるとは聞いたことがありません。
肉体にしても、知性にしても、心にしても合理性を欠く練習法です。
私は、感情の演技を実践してみて、うれしさの感情を味わうことが極めて重要であると実感しました。
著者が説明する感情の演技では、感情そのものを味わうことなく、やみくもにその感情を味わう努力だけするという記述が、どこか「変」です。
著者が指導している感情の演技では、被験者は実際は、感情を味わうレベルが一歩一歩積み重なっているに違いありません。
感情を味わうその味が濃くなっていると想像します。
感情を味わうことなく、感情を味わう努力だけが必要だという記述にはどこか勘違いがあるに違いないと直観します。
風景
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