2016年6月29日水曜日

片付けの先延ばし

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)第1章「身近な出来事に潜む"幸福否定"」の2番目の例は「部屋の片づけも、つい先延ばししてしまい、なかなかできない」ということです。

ご多聞にもれず、私も書斎の片づけができません。

片付けようとするのですが、片付けより優先順位の高い活動があるのに、何もいまさら片付けに時間をとることもないだろうという理屈がいつも勝っています。

笠原敏雄さんは、「片付けが難しいのは、自分の家や自分の部屋を、自発的に片づけようとするときにほぼ限られます。」と断じて、この問題について要旨次のような説明をしています。

外部から要請があった時、例 友人が遊びに来る時など、は比較的スムーズに片づけることができる。

しかし、自発的片付けができない。

そして無理に片づけようとすると他の用事を思い出したり、手に取った雑誌を読みふけったりして片づけに気持ちを向けることができない。

さらに頑張り続けると強い反応(鼻水が出たり、生あくびが頻発したり、眠気が襲ってきたり)が出ていまうことになる。

しかし、片付けを止めれば、こうした強い反応は即座に消えてしまう。

反応はある原因に直面すると急速に出て、その原因から遠ざかると急速に消えるという特徴がある。

片付けができないのは段取りがうまくたてられずに手際が悪いためとして、片付けの技術を教える専門家もいるが、たとえ片付けの技術を身に着けても、片付けに抵抗のある人が自発的に片づけられるようになることはない。

片付けには1部屋をきれいにする、2整理して、ものを効率よく使えるようにする、3自分を前向きな常態におく、などの意味があり、抵抗はこの順に強くなると論じています。


私も、数か月の間片付けをしていない書斎の片付けを早速してみました。

本は床に積み上がり、机や袖机の上も資料が積み上がり、下の方に何があるのかわからない状況です。

カッターを置いて裁断したい本があるのですが、それが出来ないで、我慢の限界に近付いていたのです。

実際に片付けをする前に、まだ外は明るいのに、急に酒が飲みたくなりました。

これも反応の一種だと感じました。

片付け前

片付け後

床に物が積み上がり足の踏み場が限られる状況は無くなりました。普通に歩けるようになりました。

片付けといっても、物を置く場所の余裕が最初からありませんから、書斎の図書や資料が別の場所に新たに積みあがっただけであり、物の移動に過ぎないものです。

それ以上の本当の整理をする気力は、他の用件がいろいろと「思い出されて」、生まれませんでした。

鳴り物入りで片付けを始めたのですが、その意味は、上記の1部屋をきれいにするの段階で終わってしましました。2整理して、ものを効率よく使えるようにする、3自分を前向きな常態におくなどには到底届きませんでした。

なお、抵抗も確かにあるのですが、図書や資料を収納する空間があれば床にそれらを積み上げるということはなくなると思います。

自分の場合は空間の絶対量が少ないことが問題であり、あるいは狭い空間を有効に使う超絶技術が無いだけである、とも自己弁解します。

形ばかりの片付けでしたが、久しぶりの片付けであり、片付けた大きな脇机の上にカッターを載せて図書の自炊用裁断を行い、目的達成したので、終了後早速アルコールを口にしました。


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