2016年11月27日日曜日

感情の演技似活動に関する感想

2016.11.26記事「感情の演技似活動とその効果」で書いたように、自分スタイルで感情の演技もどき活動を行っています。

この活動を行うなかで次のような感想をもちましたので、メモしておきます。

うれしさという感情をリアルかつ意識的に生まれさせる(味わう)ということが思った以上に困難であるということです。

困難の側面は2つあるように感じています。

1 うれしさの素となるイメージを想起した時、それに対応するうれしさ感情を発生させることが技術的に困難であるという側面。

2 うれしさの素となるイメージを想起した時、抵抗の結果それに対応するうれしさ感情を発生させることが困難であるという側面。

1は肉体的運動能力でも、知的思考能力でもだれでも訓練をうけなければその能力は低く、訓練をうければその能力は向上するという事柄と対応する問題です。

誰でも、意識的に特定感情を発生させる能力を訓練すれば、その能力は向上すると思います。

しかし、一般人は私を含めて、特定感情を意識的に発生させる能力開発訓練を行っていません。

ですから本来有している自分の感情発生能力レベルより低いレベルでしか感情を発生できないと思います。

そのような未訓練による感情発生能力の低レベルのため、うれしさ感情を発生できないという問題があります。

2は幸福否定理論の最重要ポイントである心の事象(幸福否定)に関連する事柄です。

うれしさの素に抵抗があるから(内心の幸福否定機能が発揮されているから)こそうれしさ感情が率直に生まれないということです。

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)では、抵抗によりうれしさの素にたいして率直なうれしさ感情を発生できないので、逆にそのことから、そのうれしさの素が本物のうれしさの素であるということが書かれています。


直感的には1と2は連動しているように感じます。

感情の素にたいしてその感情を率直に発生させる能力を訓練によって技術的に向上させることは、肉体運動能力や知的思考能力などと同じように可能であると考えます。

そのような感情操作能力が向上すれば、内心による幸福否定(つまり内心による感情操作)の領域は狭まると思います。内心の活動が制約されると思います。

一方、内心の抵抗下における困難な感情発生を試みると(感情の演技を行うと)、感情操作能力全般も向上するに違いないと思います。

心能力(感情操作能力)の訓練というものが一般に行われていないため、また内心による抵抗というものがあるために、感情の演技を行うことは困難を伴います。すっきりした活動になりません。

しかし困難ですっきりしないのに、いつの間にかうれしさの素を希求する方向に生活がむかうのですから不思議です。

感情の演技をすることと生活改善がすすむことの間の因果関係について深く学習したいものです。



自分の夢を文章に書きだす活動とか、グッド&ニュー活動が生活や職場の改善に資する理由と感情の演技の効果とは類似のものだとますます確信しました。

自分の夢を書くとき、希望に包まれたうれしさ感情を味わっています。

グッド&ニューをしているとき、ほのかなうれしさ感情を味わっています。

風景

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