笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の第1章では「身近な出来事に潜む"幸福否定"」と題して次のような事例が述べられています。
● 幸福否定が潜む身近な出来事 事例
1 締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象
2 部屋の片づけも、つい先延ばししてしまい、なかなかできない
3 始業時間や待ち合わせの約束に必ず遅れる遅刻の常習
4 自分が本当にしたいと思っていることを実行しようとする場合、それが難しい
5 青木まりこ現象(書店に入ると便意を催す)
6 自分の好きなものをはっきり言うことはよくないと思うこと
7 自分の食べたいと思っているものを食べることはよくないと思うこと
8 自分が幸福になる資格はないと思うこと
9 引っ越しうつ病
10 昇進うつ病
11 マリッジ・ブルー
12 マタニティー・ブルー
13 内縁関係のふたりが、妻の要望に従って婚姻届を出したとたんに、妻が心身症を発症
14 結婚して子どもがいる夫婦が、そのままではふたりとも心身症状が続くため、意を決して、生活はそのままで離婚届けだけを出したところ、それまでの症状が治まった(逆事例)
15 洋服や電子機器など自分がほしいと思っていたものをようやく購入しても、しまい込んでしまって使わなかったり、何かの理由をつけて、リサイクル・ショップに出してしまう
これらの事例を素人なりに眺めてみると、全て社会と個人との関係における出来事であるように感じます。
純粋な本能次元の出来事でないことは明白です。
生命を維持するために必要な原始的食欲、排便欲、睡眠欲、性欲などに関わっているものではありません。
社会との関わりの中で初めて生まれている現象が幸福否定です。
逆説的に言えば、社会との関わりが希薄になれば、幸福否定現象が生まれる必然性が希薄になるように感じます。
笠原敏雄著「幸福否定の構造」(kindle版)では「晩年寛解」という概念を紹介していて、分裂病に関して「老年 に なる と、“ ふつう” の 人 でも、 第一線 を 退き、 多少なりとも 社会的 責任 から 解放 さ れ、 一人前 扱い をさ れ ず に すむ よう に なる ので、 それ に 倣っ て、 その 分 だけ、 それ までの“ 警戒” 状態 を 多少 緩める こと も ある。」と述べ、「半人前扱いを公認する環境に置かれれば、老年でなくとも、晩年寛解と同じような現象が起こりやすい。」と説明しています。
この説明は幸福否定現象が社会との関わりが必須条件であることを語っていると理解します。
幸福否定という観点から個人と社会の関係は次のようにイメージできるのではないかと想像します。
幸福否定を起こす内心は社会的に繋がって機能している?
無意識が現代社会にまだ十分に知られていない方法で密接に繋がっていて、その中で個人レベルの幸福否定現象が生起しているのだと考えます。
無意識(内心)が社会全体と個人の関係を熟知していて、その総合的な情報に基づいて幸福否定現象を発生させているように想像します。
人社会での役割が大きければ(青年期~中高年期)、無意識が社会と緊密に連絡していて、その分幸福否定現象が発生しやすいと想像します。
人社会における役割が大きくなければ(幼少年期、老年期)、無意識の社会との連絡が疎となり、その分幸福否定現象が発生しにくいと想像します。
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