締め切り間際症(締め切り間際にならないと仕事(勉強)に手が付かない幸福否定症状)に関連して、次のような類似(関連)の幸福否定症状が存在するに違いないと直観しますので、その想定をメモしておきます。
私自身の過去の体験から次のように直観します。
締め切り間際にならないと仕事(勉強)に全く手が付かない症状という典型例を卒業して(*)、仕事(勉強)をある程度計画的に行う場合に、自分の本来能力が発揮できなくて、質の低い仕事(勉強)しかできないという症状です。
*社会の中に深く組み込まれると、単純な締め切り間際症は少なくなり、「懲りて」「学んで」あるいは強制力配下に身を置き、誰でもある程度は計画的に仕事(勉強)をするようになると考えます。
「本来自分が有している能力と比べて質の低い仕事しかできない」という自分の評価は、その真っ只中で正確に判断することは困難です。
しかし高齢になり過去を振り返ると、締め切り間際症と同じように、能力発揮抑制症が存在するように感じます。
幸福否定現象として、能力発揮抑制症があるように感じます。
幸福否定の一環として、本来有している能力の発揮を抑制して、それにより自分の価値を低めておく、自信を失わせるという内心の操作があるように直観します。
内心は不都合な(つまり自信をもてる、価値を高められるようなことに資する)記憶を消すことができるとのことですから、記憶を消すだけではなく、一般能力発揮(情報演算能力…分析力、総合力、とりまとめ力など)である脳機能の抑制も可能ではないかと想像します。
自分の過去体験を思い出すと、仕事はある程度計画的に取り組んだのですが、仕事の質が自分の本来能力よりかなり低い結果になった場合があり、幸福否定現象として捉えるとガテンがゆきます。
幸福否定現象としての能力発揮抑制症は、私個人特有のものではなく、人一般にあるように感じます。職場で一緒であった人々の仕事ぶりをふりかえって、そのように感じます。
締め切り間際症などより、能力発揮抑制症のほうが社会的にはるかに重大な問題です。
もし、感情の演技などの手法により締め切り間際症が「治療」できるならば能力発揮抑制症も「治療」できる可能性が生まれ、その社会的意義の大きさは図りしれないと考えます。
能力発揮抑制が幸福否定現象の一環であるならば、それを測る有効な指標は「反応」ということになります。
能力発揮抑制と反応の関わりがどのように捉えられるのか、今後学習を深めたいと思います。
風景
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