笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の学習をしていて、幸福否定という学説の壮大さ、奥の深さに強く感心しています。
幸福否定の学説は、素人の自分にも、現代社会の再生に関わる根本的な意義を有していると直感できます。
さて、以前2016.10.22記事「損している「幸福否定」」を書きました。
「幸福否定」概念を自分なりに学習してその素晴らしさを感じれば感じるほど、「幸福」という熟語がその概念にピッタリ一致していないように感じたからです。
マスコミ等で幸福という言葉を聞くと、私は「何をもって幸福というのですか?」と必ず質問したくなります。
世の中には幸福と考えられる中に不幸が潜んでいることが沢山あります。その反対に不幸と考えられる中に幸福が含まれていることも沢山あります。
幸福という言葉には、その背景に必ずその言葉を使った人の価値観が控えています。
そして人によって幸福-不幸の判断が異なります。
このような疑問(違和感)があったので、2016.10.10記事「幸福否定が存在しない状況を考えてみる」で、幸福否定の幸福を「したいこと」という言葉で代替してみました。
そのように代替すると、幸福という哲学的・宗教的ニュアンスを帯びる言葉から心理や感情を表現する言葉に置き換えることができると考えたからです。
この時点では幸福=「したいこと」と理解しました。
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参考 引用 2016.10.10記事「幸福否定が存在しない状況を考えてみる」(部分)
1 幸福否定という心の原理が存在しない場合の状況推定
1-1 幸福否定の説明
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の「まえがき」では幸福否定を次のように説明しています。
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① 自らの「無意識の一部」が、自分が幸福の状態にあることを極度に嫌い、その幸福感を意識にのぼらせないような策を講ずる。
② それと並行して、自分が幸福ではないことを自分の意識に言い聞かせるために、目の前に問題を作りあげる。
③ その結果として生み出されるのが、心身症や精神病という病気であり、行動の異常である。
この一連のしくみをつかさどる「無意識的な意思」のことを、私は“幸福否定”と呼んでいます。
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1-2 幸福否定の原理が存在しない状況の想定
幸福否定という心の原理が存在しない状況を、上記引用文を改変して記述してみます。
なお、幸福という言葉は抽象的で多義的ですから、これを「自分がしたいこと」と言い換えます。
① 自らの「無意識の一部」が、自分がしたいことをしている状態にあることを嫌うことはない。
自分がしたいことをしている達成感や満足感をいつも意識することができる。
② 自分がしたいことができないと自分の意識に言い聞かせることはないので、自分自身が目の前に問題を作りあげることはない。
③ 自分が目の前の問題をつくりあげ、自分の邪魔をすることはないので、それに起因する心身症や精神病という病気や行動の異常は存在しない。
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その後、笠原敏雄著「幸福否定の構造」(kindle版)を読み出し、幸福=「したいこと」ではなく幸福=「うれしいこと」であることを知りました。
「うれしいこと」なら「したいこと」も「幸福と感じる」も含まれる心の状態を表現できる言葉です。
「うれしいこと」は感情そのものですから、その言葉を使う人の価値観や思想を問題にしなくて済みます。
締め切り間際にならないと作業に着手できない幸福否定現象はこれまで「自分のしたいことを自分が否定している」と捉えていました。
しかし、そうではなく「作業を計画的に順調に進めて仕上げるという自分の本来能力が発揮できてうれしいということの否定」であると捉えるようになりました。
古代中国で犠牲坑に何千人もの生身の人間を埋めるのではなく、その代わりに土人形(兵馬俑)を埋めて同じ効用を得るようになったという幸福否定緩和の社会進歩も、「何千人もの生身の人間を殺さないことはうれしいということの否定」の緩和現象であると言い換えることができると思います。
201611.02記事「笠原敏雄著「幸福否定の構造」(kindle版) 人類史における幸福否定緩和の例」参照
うれしさの否定 が含まれる小見出し 笠原敏雄著「幸福否定の構造」(kindle版)
感情の演技も、「したいという感情」ではなく、「できてうれしいという感情」を発生させることとあらためて理解できました。
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