笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)では幸福な感情を作らせないように、日常生活の中での出来事が自分に大きな幸福をもたらすと判断すると、内心が、心因性の心身症状を瞬時に作りあげる現象を詳しく説明しています。
そのうち一過性に終わるものは反応と呼ばれ、大きく分けて、あくび、眠気、身体的変化の3種類があるとされています。
昨日、ある事情から寝不足状態で趣味活動に着手しました。
寝不足ですから、パソコン作業が佳境に入るといつしか眠ってしまっている自分がいます。
いつもなら、寝不足ですから仕方がないと考え、出直す(睡眠を沢山とってから作業する)ことを考えるところです。
しかし、幸福否定の学習をしていて、作業中の睡魔は幸福否定現象であると判っていますから、自分を観察しながら睡魔と戦ってみました。
まず、趣味活動を止めて、WEBニュースで興味のある記事を読んでみました。
最近の都知事選関連の小池百合子当選、安倍総理との会談、自民党都連の反応…漫然と興味にまかせて記事を読むと、興味はどんどんつながり、次々に記事をクリックしてしまいます。
睡魔はうそのように生じません。
このニュース記事をどんなに読んでも自分に残るものは何もないことは判り切っていますから、自分にとっては低次元の興味本位の時間つぶし以外の何物でもありません。
次に、趣味活動に戻ってみました。
しばらくはパソコン作業が続きます。
パソコン作業をしていると、必ずそこに興味が湧くことが出てきます。気になるから調べておきたいと思う事柄が生まれます。
昨日は過去に検討した墨書土器文字のより正解に近いと考える意味が判りました。
その興味が湧いた瞬間から睡魔が襲いかかってきます。
睡魔に負けないように小休止したり、姿勢を変えたり…、いろいろしますが結局気が付くと瞬間的に眠っている自分がいます。
睡魔を突破して作業を進めることが困難で、遅々として前に進めません。
ここまで自分の観察を進めてきて、辛いだけでなく、何か少しうれしい感情が湧きました。
うれしさは次のことに気が付いたから生まれたのだと思います。
寝不足ということですから、体調レベルが低いということです。
体調レベルが低いので、いつもより幸福否定の反応が強く出たということです。
幸福否定の反応が強く出るということは、自分が希求している幸福の在りかが苦労せずしてわかるということです。
過去に検討して本当らしいと考えていた墨書土器文字の意味について、別のより正解に近いと考える意味に気が付いたのですが、それが自分の趣味活動で重要である(それを追究すれば幸福である)という直観があったからこそ、眠気が生まれたということです。
体調レベルが低いと、作業は進みませんが、自分の幸福のありかが簡単にわかるので、それは便利であるとわかったので、うれしかったのでした。
なお、まだ詳しくわかりませんが、体調レベルが低い時の作業効率低下の仕組みが判ったのですから、その対処法もあるに違いないと感じるようになりました。
体調レベルが低い時は、特定の興味を深める作業(分析作業)は不向きのようですから、多数の情報を俯瞰してその中から興味のあるものを抽出するまでの作業(俯瞰作業)には、うってつけかもしれません。
緊急事態の場合(明日が締め切りなど)、たとえ体調レベルが低くて睡魔に襲われるような状況があっても、ある程度耐えると、状況が180度転換して意欲満々で作業できるようになった体験が過去に何度もあります。その仕組みもいつか検討したいと思います。
最後に、言うまでもないことですが、反応が出たところが幸福なところ(重要なところ)という判断は心の現象であって、客観性のあるものではありません。
例えば、昨日、「過去に検討して本当らしいと考えていた墨書土器文字の意味について、別のより正解に近いと考える意味に気が付いた」ことに反応した(睡魔に襲われた)のは事実ですが、だからといって、本当に正解に近づいている保証があるわけではありません。
もしそれが正解なら、それを突破口により多くの墨書文字の意味が判るに違いないという期待が大きく膨らんだということです。
花見川風景 2016.08.06 早朝
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