1 寝床における感情の演技
2017.01.08記事「
感情の演技の姿勢(体勢)について」で、自己流感情の演技は、「うれしさ」感情の作りやすさという点では立った姿勢が1番、背筋を伸ばした姿勢が2番、猫背が3番という結果になったことをメモしました。
同じことを寝床で睡眠前あるいは目覚めた直後という睡眠と密接に関係する状態で実施してみました。
ブログ記事を何らかのとりまとめ作品にした状況のうれしさを実感しようとしました。
「うれしさ」感情のつくりやすさという点ではぼんやりしていて猫背の姿勢より以下のようです。
「うれしさ」感情の演技そのものは完全な覚醒状況ではないので困難なようです。
2 寝床における思考 -なぜリアル感情をつくれないか-
さて、感情の演技が終わり、リアルなうれしさを味わえない不満が生まれますが、その不満が原因で、各種思考が始まることがいつものことです。
思考といっても半覚醒状況ですから、半分夢みたいな状況かもしれません。
恐らく意識だけでなく無意識の領域にもまたがった思考だと思います。
そのような寝床における感情の演技後の思考例をメモしておきます。
なぜリアルな「うれしさ」感情をつくれないか思考してみました。
リアルな「うれしさ」感情があるときは、必ずそれに対応したリアルな状況が存在します。
当たり前のことです。
「作業結果をまとめる」という抽象的な言葉にたいしてリアルな「うれしさ」感情をもつことなどできません。
例えば、「作業結果をまとめる
プロセスが自分の能力にフィットして快適に進行する状況」を具体的にイメージできれば、リアルな「うれしさ」感情を脳裏に発生させることができます。
利用素材の整理状況、素材編集の具体的方法、編集作業に使うソフトやファイル形式…などなどについて具体的にイメージすることによってまとめ作業プロセスの「うれしさ」を感じることができます。
あるいは、「まとめた作品ファイル群をサイトに張り付けて
公表し、WEBにおける検索によって多くの方々に閲覧していただける状況」を具体的にイメージできれば、リアルな「うれしさ」感情を脳裏に発生させることができます。
サイトにおける作品整理の構成、サイトのデザイン、WEB検索に対する工夫…などなどについて具体的にイメージすることによってまとめ作業が完成した暁の「うれしさ」を感じることができます。
3 自己流感情の演技は「感情の演技」(笠原敏雄発明開発)ではない
寝床における思考は、自分が「うれしさ」感情を持つためにいろいろと工夫している状況です。
つまり感情をより簡単につくれるように、演技できるようにしようとしている状況です。
一方、笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)では次のように述べていて、感情の演技といいながら、感情の発生をどこまでも拒否しています。
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感情の演技を効果的に行なうコツについて
感情の演技を効果的に行なうには、コツがあります。
それは、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を設定するということです。
一般的なコツは、目標とすることをできやすくするための工夫という意味ですが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、なるべく難しい条件を選んで行なうほうが効果的なのです。
それは、感情を作ろうとする努力を通じて、幸福に対する抵抗に直面させることこそが、治療に直結するからです。
棒高跳びを例にとって説明すると、バーを低くすれば簡単に挑べますが、それでは実力は伸びません。
実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。
それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。
具体的にどのようにするかについては、次項で説明します。
実際に素直な感情を作るのは非常に難しく、わずか2分であっても、最初は集中すら難しいかもしれません。
何度か繰り返すと、集中はある程度できるようになりますが、それでも感情を作るのは難しく、先に述べたように、むりやり作ろうとすると、あくび、眠気、身体的変化という3種類の反応のどれかが出るようになります。
そうした反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療につながるのです。
そこが自己暗示と全く違うところです。
感情ができなければ治療に結びつかないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力を重ねてゆけば、自然に好転に向かうということです。
目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用
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自己流感情の演技は「感情の演技」(笠原敏雄発明開発)ではないことははっきりしてきました。
4 「感情の演技」(笠原敏雄発明開発)に対する疑念
「感情の演技」(笠原敏雄発明開発)に対して次のような疑念が生まれていますので、メモしておきます。
あ 「感情の演技」(笠原敏雄発明開発)を著者自身が体験しているのか?
「感情の演技」の説明文には、笠原敏雄先生自身が「感情の演技」を体験された言葉、体験に裏打ちされた言葉の存在が感じられません。
著者はクライアントの心理療法指導を行っていて、その中で療法とクライアントの心理変化の相関を「感情の演技」と表現しているだけであるという疑問です。
著者自身が自分の心を対象に「感情の演技」を実践していない。従って、その有用性を自己体験的に確かめていないという疑問をもっています。
この疑問が私の誤解や知識不足であることを願います。
い 「感情の演技」(笠原敏雄発明開発)が身近な幸福否定に対応していない
「実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。」という違和感のある比喩説明から、「感情の演技」説明は身近な幸福否定(締め切りまでに仕事ができないなど)には対応していない療法であるのかもしれないと感じます。
著者は身近な幸福否定の例を沢山紹介していますから、一般人はそこに自分を投影して、それに興味をそそられます。
しかし、著者の「感情の演技」は重篤なクライアントを対象にしていて、身近な幸福否定に対して「感情の演技」が使われたことはないということかもしれません。
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)という一般向け啓発書でありながら、そこで詳しく説明される「感情の演技」は重篤なクライアント向けであり、一般向けに適用されたことはこれまで無いと考えます。
このような理解が私の誤解や知識不足であることを願います。
感情の演技に対する疑念にも関わらず、幸福否定理論は説得力のある素晴らしいものであると考えます。
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