1 本物感情の演技と自己流感情の演技の違い
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の感情の演技を参考に自己流の感情の演技を行っています。
「幸せを拒む病」の中で感情の演技の基本はいつまでもハードルを越えない高跳び練習にたとえられています。
つまりある感情を作ろとするけれども、その感情ができそうになると、その感情をつくることを避けて(達成感を味わいないで)、より難しい感情つくりにむかうと理解できるような方法が書かれています。
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感情の演技を効果的に行なうコツについて
感情の演技を効果的に行なうには、コツがあります。
それは、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を設定するということです。
一般的なコツは、目標とすることをできやすくするための工夫という意味ですが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、なるべく難しい条件を選んで行なうほうが効果的なのです。
それは、感情を作ろうとする努力を通じて、幸福に対する抵抗に直面させることこそが、治療に直結するからです。
棒高跳びを例にとって説明すると、バーを低くすれば簡単に挑べますが、それでは実力は伸びません。
実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。
それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。
具体的にどのようにするかについては、次項で説明します。
実際に素直な感情を作るのは非常に難しく、わずか2分であっても、最初は集中すら難しいかもしれません。
何度か繰り返すと、集中はある程度できるようになりますが、それでも感情を作るのは難しく、先に述べたように、むりやり作ろうとすると、あくび、眠気、身体的変化という3種類の反応のどれかが出るようになります。
そうした反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療につながるのです。
そこが自己暗示と全く違うところです。
感情ができなければ治療に結びつかないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力を重ねてゆけば、自然に好転に向かうということです。
目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。
笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用
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その記述が正しければ、練習法として合理性を欠くような印象を持っています。
その記述が正しければ、自分が行った自己流感情の演技は本物でないことは確実です。
その記述が正しければ、そしてその非合理性の正しさを証明する(説得する)より詳しい説明がなければ、世の中のほとんどの人がそれを受け入れることはできないと思います。
願わくば、その記述に勘違いや不十分さがあり、あるいは比喩の仕方が間違っていたり、不十分さがあってほしいものです。
「目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。」が結論になることは十分理解しているつもりです。
しかし、そのプロセスにおいて(練習法として)「困難にめげず感情つくりに努力して、最後にその感情のいくばくかでもつくることができた」という達成感が必要である(存在するに違いない)と素人考えします。
さて、自己流感情の演技では例えば「趣味活動のまとめ」という領域に幸福否定現象が存在していると考え、その領域における「うれしさ」感情を味わうことを行っています。
いろいろと反応が生まれ、感情をつくることは一筋縄ではいかないのですが、「うれしさ」を味わうことができれば、それをできるだけ深く味わうようにしています。
2 自己流感情の演技における姿勢(体勢)
自己流感情の演技において姿勢(体勢)が重要な要素であるので、メモしておきます。
パソコンのある机に向かって椅子に座って感情の演技を行うことが多いのですが、いつものキーボードを操作するような姿勢(肩が少し落ちて猫背になっている姿勢)と背筋を伸ばして顎を引き胸を開いた姿勢と立った姿勢(注)と寝床の中の4つで感情つくりを試してみました。
注)ブログ「花見川流域を歩く 番外編」2016.07.02記事「スタンディングデスクもどきによる立作業」参照
このうち寝床の中を除く3つの姿勢について比較します。
「うれしさ」感情の作りやすさという点では立った姿勢が1番、背筋を伸ばした姿勢が2番、猫背が3番という結果になりました。
「うれしさ」感情をつくるという行為で姿勢(体勢)が大いに影響しています。
これをどう捉えるか?
「うれしさ」感情が相対的に簡単にできるということは、反応が少ないのだから、抵抗に直面していないのだから、意義が少ないと捉えるのか?(A)
反対に、無暗な抵抗を体が排して「うれしさ」感情を味わったのだから、一つの前進体験であり、生活に好影響をもたらすものであるのか?(B)
私は、自分のケースでは、Bの考えを大切にしたいと考えます。
自分のケースに関して言えば、Aは苦しめば苦しむほど価値があるというような発想になってしまい、とても自分の思考としては許容できません。
寝床の中の感情の演技は別に考察します。
風景
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