考古事象に幸福否定が観察できるかもしれないという感覚を持ち始めていますので、メモします。世界各地に生贄の風習があり考古事象として観察できます。日本でも神話などに登場し、最近まで隠れた事実として人柱などが存在していたようです。
縄文時代の土偶の多くは破壊されて出土しますが、女神を殺害することによって(生贄をささげることによって)その代償として豊穣を得るという構図が土偶破壊と対応しているように感じます。縄文時代のリアル生贄の存在が一般的事象として認められているという説は聞いたことがありません。しかしリアル生贄の存在を意識した研究がないだけで、詳しくこれまでの発掘結果を分析すればその存在で出てくる可能性があります。土偶の破棄行為という厳然たる事実から、少なくとも観念の世界では生贄が存在していたことは事実です。
人を生贄としてささげるという行為を幸福否定現象として捉えるならば、考古歴史事象に幸福否定現象を見ることができるということになります。
さらに抜歯やイレズミ、巨大イアリングの耳タブ装着などの苦痛を伴う身体加工も幸福否定現象として観察できる可能性があります。これらの行為は考古歴史では同族帰属意識の醸成とか通過儀礼として語られることが一般的ですが、心理的側面から見ると社会における幸福否定現象の発露として分析できる事象だと考えます。