2016年9月15日木曜日

超常現象

このブログでは笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)を学習していますが、超常現象とか念力現象という言葉が自然に出てきています。

超常現象が幸福否定とどのようにかかわるのか、怖いもの見たさみたいな興味を持ちながら、その部分を読んでみました。

「内心の抵抗と超常現象」という小見出しの部分を次に引用します。

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ひとつは、心理療法でのやりとりを、クライアント自身が後で聞き直すために録音していると、肝心な場面で大きな静電音が録音されたり、なぜか音量が極度に小さくなったりして、再生した場合に聞きとれなくなるという現象が頻発することです。

録音媒体は、時代によって異なり、最初は磁気テープでした。

次が光磁気ディスクで、最近はICレコーダに変わっています。

にもかかわらず、同質の雑音が発生するのです。

特にICレコーダでは、さらにふしぎな現象も起こります。

たとえば、録音されていたはずなのに、再生しようとすると別の日の録音にとんでしまうなどの現象です。

最近は、遠方の方がたの心理療法をスカイプ(インターネットを介したビデオ通話)で行なうことも多いのですが、その場合にも、肝心な場面で、多種多様の電子音が入ったり、音量の低下が起こったり、音声が途切れたり、映像が停止したり、場合によっては接続が切れてしまったりするという現象が頻発します。

特定の話題に入ると、その瞬間に起こり始めるので、そのことを事前に説明していなくても、むしろクライアント側がその関係に気づいて、この話の時にはいつも雑音が入るので、このことは重要なのだと思います、などと自分から言い出すこともあるほどです。

ここでは、明らかな念力現象が、しかも多くのクライアントで頻繁に発生しています。

このことは、超常現象としては、きわめて異例なことなのです。

こうした現象は、それほど重要な問題を扱っていることの現われと考えるべきなのでしょう。

その中でも最も興味深いのは、録音しながら行なったセッションで、同じ人物についてやりとりしている時に、眠りと雑音が、交互に繰り返し発生したという事例です。

反応は、互いに排他的に起こるという原則に忠実に従ったわけです。

その事例では、同じ人物について話している時に限って、強い頭痛が起こったり、一瞬のうちに眠ってしまったりを繰り返したのですが、録音テープを再生してみると、強い頭痛が起こっていた時にはテープに大小の静電音が入っており、やりとりが全く聞きとれなくなっていたのに対して、眠っている聞には、静電音は全く入っていなかったのでした(笠原、2000年、第4章)。

このことから、眠りと雑音の発生は、同じ動機から作りあげられたものと考えざるをえなくなります。

このような事例からすると、超常現象は、かなりの規模のものであっても、実は誰でも自在に起こすことができると考えたほうがよさそうです。

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内心(無意識)が意識を妨害し、欺いて、なおかつその妨害や欺きを場合によっては隠れて行うのが幸福否定現象であると理解します。

その幸福否定現象つまり、内心の妨害欺き行為が肉体の範囲を超えて客観的空間にも及ぶ場合があり、その場合を超常現象という言葉で表現できると理解しました。

これと似た体験として、電話で自分あるいは相手が窮地に陥るような会話になった時、電話が切れたり、音声が聞き取りにくくなった経験は何度もあります。

その時自分あるいは相手が無意識的に電話を切ったり、聞き取りにくいように聴覚や発声の制御をしたに違いないとは理解していました。

超常現象は、このような体験、つまり自分あるいは相手が行う肉体操作ではなく、客観的に存在している機械を直接操作するという現象です。

この超常現象の存在は書物(論理的記載)からではなく、体験的に確かめるべき対象であると考えます。

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