締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象について、笠原敏雄さんは「幸せを拒む病」で要旨次のように書いています。
心理学者や精神科医ですら圧倒的多数が経験しているがこの症状を真正面から真剣に研究することはない。それどころか、自らの同じ問題を解決できない。
覚悟を決めて、締め切りまでに余裕のある段階で課題に取り組もうとすると、さまざまな誘惑に苦しめられ、ほとんどの人は努力を放棄しています。
なお、誘惑をこらえて課題に取り組もうとすると、「反応」がでる。
「反応」とはあくびが続けざまにでる、強い眠気に襲われる、頭痛、下痢、脱力感、アレルギー様反応などの総称。
さらに課題に取り組む努力を続けると「反応」はもっと強くなる。
そして、その「反応」が、その課題に取り組んでいるために起こっているという因果関係に気づく人は少ない。
その努力を止めれば、こうした反応はその瞬間に薄れるか、消えるかする。
そして、締め切りが近づき、もはや必要最小限のことしかできない段階になると、その抵抗も弱まるため、それまで禁止されていた行動が解禁されたかのように、曲りなりもその課題を片付けることができるようになる。
最小限のことしかできないけれど、心底かあ懲りることなく、間もなく忘れて、次に同じ課題に直面した時にも同じことを繰り返す。
懲りないのは(あるいは懲りようとしないのは)、「無意識のうちに進歩を嫌っているためではないか」という推測がここで生まれる。
この記述について次のような感想を持ちます。
1 自分の過去を振り返ると、学校の試験、会社業務の年度末の締め切りなどで、直前対策しかできなかったこともあり、苦労したことが多いのが現実です。
その直前対策の理由がよくわかり、この記述に強くシンパシーを感じます。
2 自分自身の体験では、20代では確かに課題を取り組もうとすると反応が出たことが多かったとふりかえります。
机に座れずに時間を空費していた経験が確かにあります。
その時に笠原敏雄説を知っていれば、もっと手の打ちようがあったと思います。
3 30代以降ではそのような時間の空費を伴う「手をつけられない」状況は少なく、多量業務をこなす中で、作業の優先順位を誤ってしまい、あるいは絶対作業時間が足りないで、特定業務が直前対策になるということが頻発しました。
著者が「懲りない(懲りようとしない)」と言っていますが、それは純粋培養された心における原理だと思います。
現実の会社では締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象などとのんびりしていては即刻脱落・首です。
自分は懲りようとしなくても、会社から懲りさせられてしまいます。
また仕事の優先順位とか計画性とか、締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない状況を招かないための技術面でのスキルアップもこの時期にありました。
締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象が発生する余地が外圧で少なくなり、それが習慣化していったと思います。
要するに社会(組織)のなかでの濃密な活動では、個人の「無意識のうちに進歩を嫌う」行動など蹴散らかされてしまう場合もあるということです。
4 社会(組織)とは関わらない個人のしたいことについては、外部圧力がないだけに「無意識のうちに進歩を嫌う」心性が一層強まると考えます。
笠原敏雄さんは人間にとっていちばん難しのは次の3条件がそろった時ですと書いてます。
1 自分が本当にしたいことを
2 それに充てられる時間が十分ある時に
3 自発的にすること
現在の自分の趣味活動では、上記3条件がそろったことをしようとしてます。
さすがに、机に座ることも反応がでてできない、という若々しさ・初々しさはありませんが、「高級?」「老練?」な方法で自分の進歩が損なわれているような気が時々します。
その様子をよく理解して、その対策をこの学習活動の中で見つけたいと考えています。
2016.06.27 花見川の早朝
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