2016年6月30日木曜日

始業時間や待ち合わせの約束に必ず遅れる遅刻の常習

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の第1章「身近な出来事に潜む"幸福否定"」の3番目は始業時間や待ち合わせの約束に必ず遅れる遅刻の常習です。

遅刻の常習者は目的地が遠くても近くても、例えば10分というふうにいつも決まった時間だけ遅れる人が多く、何かの調整が働いていることがかんじられるそうです。

また、遅刻の常習者のなかには朝早く起きる人もいて、支度に手間取ったり、支度が終わってもぐずぐずしていてなかなか出られない人がいるそうです。

このような実例から、笠原敏雄さんは、「むしろまにあわないように、つまり決まった時間だけ遅刻するように調整しているらしいことが、ますますはっきりしてきます。」と書いています。

さらに、一般の心理療法やカウンセリングで、自分の中に「意図的に遅れるような無意識の調整が働いている」ということの重大さに気がついても、遅刻はほとんどなくならないと書いています。


さて、翻って自分の遅刻行動についてみると、交通時間の予測を誤って遅刻するなどの例はありましたが、遅刻の常習はこれまでの人生でなかったと思います。

また、人生の後半は約束の時間に必ず余裕をもって到着するような習慣が付き、遅刻はほぼ皆無になりました。

一般のビジネスマンで遅刻を全くしない人は多いと思います。

以前同じ職場で遅刻の常習者がいて、結局首になりました。

遅刻をする人は組織の要所からは必ず排除されると思います。



ここまで締め切りギリギリ症、片付け先延ばし、遅刻の常習という3つの例を学習してきました。

3つとも身近ではありますが、その様相は、個人と社会の関係でみるとだいぶ異なっていることがわかります。

1 締め切りギリギリ症

締め切りギリギリ症の人は、社会との契約は結局は守っている状況です。

つまり結果として仕事はするのです。

ただしやっつけ仕事になって仕事の質が低下したり、一緒に仕事をする人に迷惑をかける場合もあるといことです。

そうでない場合もあります。

なお、締め切りギリギリで結局仕事ができなくて納期に間に合わないということになると社会契約を守らないということになります。

ですから、そういう状況は締め切りギリギリ症の範疇には入らないと思います。

遅刻の常習と同じような範疇に入ると思います。

もともとその仕事の能力がないとみられるので、契約違反みたいなものになります。

2 片付けの先延ばし

社会との関係で考えると、社会には影響をほとんど与えない状況です。

友人が来訪するときは片づけるのです。

子供に「いつもお客さんがくるといいね」と片付けが出来ない親が嫌味をいわれるような状況です。

自分の生活環境が劣悪化する程度の状況です。

3 遅刻の常習

社会との契約を明瞭な形で守らないことになります。常習者は組織から排除される方向をたどります。


社会生活における事の重大さの順番でこの3つの例を並べ替えると次のようになります。

1 一線を越えた遅刻の常習

自分自身が心の中で、自分を邪魔するという現象が幸福の否定ということなりますが、サラリーマンを念頭においた社会生活を営む上で、遅刻の常習は社会契約を破ってしまっているのですから、自己破滅の様相があると思います。

一線を越えてしまった状況です。

2 ギリギリ踏ん張っている締め切りギリギリ症

締め切りギリギリ症はそれを前提にして生活している人が多く、その症状があるからと言って能力が発揮できていないとは必ずしも言い切れないと思います。

有益な成果をあげる人でも締め切りギリギリ症の人が多くいます。

一線を越えないで、まさにギリギリで踏ん張ってる状況です。

3 余裕のある片付け先延ばし

片付け先延ばしは、いざというときは片づけることができるのですから、社会契約という点から見ると、問題はないと思います。

一線のはるか手前にいる余裕のある状況です。



社会生活を営む上で、社会との契約とか規範との強さの異なる3つの状況において、いづれでも極普通に幸福否定現象が見られることが判りました。

笠原敏雄さんのいうように、仮に自らが自らの幸福を否定していると意識しても、それだけでは問題が解決しませんから、まさに根深いものなのだと思います。

さらに学習を続けます。



花見川の日の出(弁天橋)




2016年6月29日水曜日

片付けの先延ばし

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)第1章「身近な出来事に潜む"幸福否定"」の2番目の例は「部屋の片づけも、つい先延ばししてしまい、なかなかできない」ということです。

ご多聞にもれず、私も書斎の片づけができません。

片付けようとするのですが、片付けより優先順位の高い活動があるのに、何もいまさら片付けに時間をとることもないだろうという理屈がいつも勝っています。

笠原敏雄さんは、「片付けが難しいのは、自分の家や自分の部屋を、自発的に片づけようとするときにほぼ限られます。」と断じて、この問題について要旨次のような説明をしています。

外部から要請があった時、例 友人が遊びに来る時など、は比較的スムーズに片づけることができる。

しかし、自発的片付けができない。

そして無理に片づけようとすると他の用事を思い出したり、手に取った雑誌を読みふけったりして片づけに気持ちを向けることができない。

さらに頑張り続けると強い反応(鼻水が出たり、生あくびが頻発したり、眠気が襲ってきたり)が出ていまうことになる。

しかし、片付けを止めれば、こうした強い反応は即座に消えてしまう。

反応はある原因に直面すると急速に出て、その原因から遠ざかると急速に消えるという特徴がある。

片付けができないのは段取りがうまくたてられずに手際が悪いためとして、片付けの技術を教える専門家もいるが、たとえ片付けの技術を身に着けても、片付けに抵抗のある人が自発的に片づけられるようになることはない。

片付けには1部屋をきれいにする、2整理して、ものを効率よく使えるようにする、3自分を前向きな常態におく、などの意味があり、抵抗はこの順に強くなると論じています。


私も、数か月の間片付けをしていない書斎の片付けを早速してみました。

本は床に積み上がり、机や袖机の上も資料が積み上がり、下の方に何があるのかわからない状況です。

カッターを置いて裁断したい本があるのですが、それが出来ないで、我慢の限界に近付いていたのです。

実際に片付けをする前に、まだ外は明るいのに、急に酒が飲みたくなりました。

これも反応の一種だと感じました。

片付け前

片付け後

床に物が積み上がり足の踏み場が限られる状況は無くなりました。普通に歩けるようになりました。

片付けといっても、物を置く場所の余裕が最初からありませんから、書斎の図書や資料が別の場所に新たに積みあがっただけであり、物の移動に過ぎないものです。

それ以上の本当の整理をする気力は、他の用件がいろいろと「思い出されて」、生まれませんでした。

鳴り物入りで片付けを始めたのですが、その意味は、上記の1部屋をきれいにするの段階で終わってしましました。2整理して、ものを効率よく使えるようにする、3自分を前向きな常態におくなどには到底届きませんでした。

なお、抵抗も確かにあるのですが、図書や資料を収納する空間があれば床にそれらを積み上げるということはなくなると思います。

自分の場合は空間の絶対量が少ないことが問題であり、あるいは狭い空間を有効に使う超絶技術が無いだけである、とも自己弁解します。

形ばかりの片付けでしたが、久しぶりの片付けであり、片付けた大きな脇机の上にカッターを載せて図書の自炊用裁断を行い、目的達成したので、終了後早速アルコールを口にしました。


2016年6月28日火曜日

締め切りギリギリ症の対症療法と根源的療法

1 締め切りギリギリ症

笠原敏雄さんが「幸せを拒む病」(フォレスト出版)で論じる「締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象」を短縮してこのブログでは「締め切りギリギリ症」と名付けることにします。

2 対症療法と根源的療法

締め切りギリギリ症について笠原敏雄さんは「いわゆるグズを治す方法を教える本などを読んだとしても、ことはそう簡単ではありません。技術の問題ではないからです。」と書いています。

この文章に触れて笠原敏雄さんが考えていることが締め切りギリギリ症の対症療法ではなく、その現象の原理とか、その現象の根源的療法であることとして理解しました。

笠原敏雄さんは世の中で心の専門家という人を含めて、締め切りギリギリ症の本質を理解し、その根源的療法を行えるのは自分だけであると自信をもっているのだと思います。

笠原敏雄さんが対症療法と根源的療法を区別して対症療法に重きをおかないことはよくわかります。

なにしろ、笠原敏雄さんの幸福否定説は現代文明の基礎となっている唯物論の否定にまで届き、生物進化論の中で人の心の発達を位置づけようという壮大なものです。

世の中が少し変化すれば、あるいはその説の理解が進めばノーベル賞確実レベルであると考えます。

世の中の根本原理を変えてしまうかもしれない説です。

そのような壮大な説を、その特性から理解する人が少ないので(忌避する人・無視する人が多いので)、誰でも理解せざるを得ない例として締め切りギリギリ症などの身近な例をだしているのだと思います。

笠原敏雄さんにとっては、締め切りギリギリ症を治すには幸福否定説に基づく根源的療法(感情の演技)が最も確実で近道であるにちがいありません。

3 対症療法の効果

私は笠原敏雄さんの壮大な仮説に大いに興味を引かれます。

このブログで実況中継することになる「幸福を率直に受け入れるための方法-感情の演技-」の実践を楽しみにしています。

同時に、笠原敏雄さんが一顧だにしない締め切りギリギリ症などに対する対症療法、つまりグズ本の大量読書、生活技術の貪欲なスキルアップにも取り組んできています。

そしてそれらの対症療法にも大いに価値があると実感してきています。

対症療法の良い点は、その療法が少し的外れであったとしても、自分の心理を自分が観察して、それを治そうと意識するのですから、時間が経過すれば生活改善の知恵が出てくる可能性が高まる点にあると思います。

最初からグズ本や技術の価値を否定することは実生活では得策ではないと思います。

ですから、自分が体験的に価値を認める対症療法(グズ本活用、生活技術のスキルアップ)の効果と笠原敏雄さんの根源的療法(感情の演技)の比較、関係にとても興味があります。

4 締め切りギリギリ症に対する社会の対応

締め切りギリギリ症は一般に見られますから会社や組織ではそれなりの対応をしています。

私の経験でいえば、発注者と受注者のいる仕事では、有能な発注者は必ず次のような策を取ります。

つまり、受注者(担当個人)が締め切りギリギリ症で仕事を納期の最後にやっつけ仕事で済ませてしまい、粗雑な成果となる可能性があることを防ぐために、必ずステップを踏んで中間報告をさせます。

締め切りギリギリ症の担当者であっても、その締め切りが定期的にあれば仕事をせざるをえません。

また、締め切りギリギリ症の担当者をチェックさせるために、受注者内部での事前チェックを義務化して報告させます。

さらにいろいろな具体的対応策があります。

これらの対応策は業界でマニュアル化され、制度化され、そのスキルの資格(※)があり、その資格者の存在が受注条件にも関わります。

つまり、締め切りギリギリ症は誰にでもありますから、放っておけば業務に大きな損失となることは会社や組織は何度も凝りていて、よく知っているので、その害を最小化するために多重の策を業界ぐるみで講じているのです。

その効果は無策時と比べるならば、大いにあると思います。

会社や組織は笠原敏雄さんの仮説は誰一人知りませんが、一定の実効性のある対症療法はすでに組織的・計画的に実行しているのです。

私の体験では、このような社会環境に身を置くと、締め切りギリギリ症の根源的解消は無いかもしれませんが、締め切りギリギリには仕事をしないという習慣が身に付き、締め切りギリギリにやっつけ仕事をして周りに迷惑をかけるという事態がかなり抑えられていると考えます。

※たとえば技術の分野では技術士制度の中に個別技術部門(建設・環境・農業・機械・電気…)とは別にすべての技術に共通する技術を扱う部門(総合技術監理部門)があり、その中でスケジュール管理が重要な項目となっています。

スケジュール管理では人間心理への働きかけや動機付け、質の高いコミュニケーションが重要な鍵となっています。

花見川風景 弁天橋から下流

2016年6月27日月曜日

締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象

締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象について、笠原敏雄さんは「幸せを拒む病」で要旨次のように書いています。

心理学者や精神科医ですら圧倒的多数が経験しているがこの症状を真正面から真剣に研究することはない。それどころか、自らの同じ問題を解決できない。

覚悟を決めて、締め切りまでに余裕のある段階で課題に取り組もうとすると、さまざまな誘惑に苦しめられ、ほとんどの人は努力を放棄しています。

なお、誘惑をこらえて課題に取り組もうとすると、「反応」がでる。

「反応」とはあくびが続けざまにでる、強い眠気に襲われる、頭痛、下痢、脱力感、アレルギー様反応などの総称。

さらに課題に取り組む努力を続けると「反応」はもっと強くなる。

そして、その「反応」が、その課題に取り組んでいるために起こっているという因果関係に気づく人は少ない。

その努力を止めれば、こうした反応はその瞬間に薄れるか、消えるかする。

そして、締め切りが近づき、もはや必要最小限のことしかできない段階になると、その抵抗も弱まるため、それまで禁止されていた行動が解禁されたかのように、曲りなりもその課題を片付けることができるようになる。

最小限のことしかできないけれど、心底かあ懲りることなく、間もなく忘れて、次に同じ課題に直面した時にも同じことを繰り返す。

懲りないのは(あるいは懲りようとしないのは)、「無意識のうちに進歩を嫌っているためではないか」という推測がここで生まれる。


この記述について次のような感想を持ちます。

1 自分の過去を振り返ると、学校の試験、会社業務の年度末の締め切りなどで、直前対策しかできなかったこともあり、苦労したことが多いのが現実です。

その直前対策の理由がよくわかり、この記述に強くシンパシーを感じます。

2 自分自身の体験では、20代では確かに課題を取り組もうとすると反応が出たことが多かったとふりかえります。

机に座れずに時間を空費していた経験が確かにあります。

その時に笠原敏雄説を知っていれば、もっと手の打ちようがあったと思います。

3 30代以降ではそのような時間の空費を伴う「手をつけられない」状況は少なく、多量業務をこなす中で、作業の優先順位を誤ってしまい、あるいは絶対作業時間が足りないで、特定業務が直前対策になるということが頻発しました。

著者が「懲りない(懲りようとしない)」と言っていますが、それは純粋培養された心における原理だと思います。

現実の会社では締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象などとのんびりしていては即刻脱落・首です。

自分は懲りようとしなくても、会社から懲りさせられてしまいます。

また仕事の優先順位とか計画性とか、締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない状況を招かないための技術面でのスキルアップもこの時期にありました。

締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象が発生する余地が外圧で少なくなり、それが習慣化していったと思います。

要するに社会(組織)のなかでの濃密な活動では、個人の「無意識のうちに進歩を嫌う」行動など蹴散らかされてしまう場合もあるということです。

4 社会(組織)とは関わらない個人のしたいことについては、外部圧力がないだけに「無意識のうちに進歩を嫌う」心性が一層強まると考えます。

笠原敏雄さんは人間にとっていちばん難しのは次の3条件がそろった時ですと書いてます。

1 自分が本当にしたいことを

2 それに充てられる時間が十分ある時に

3 自発的にすること

現在の自分の趣味活動では、上記3条件がそろったことをしようとしてます。

さすがに、机に座ることも反応がでてできない、という若々しさ・初々しさはありませんが、「高級?」「老練?」な方法で自分の進歩が損なわれているような気が時々します。

その様子をよく理解して、その対策をこの学習活動の中で見つけたいと考えています。


2016.06.27 花見川の早朝



2016年6月26日日曜日

身近な出来事に潜む"幸福否定"の事例

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)の第1章は「身近な出来事に潜む"幸福否定"」です。

そこで、この章で語られている幸福否定が潜む身近な出来事を列挙し、自分の事例も含めて検討してみます。

第1章では次のような事例が書かれています。

● 幸福否定が潜む身近な出来事 事例

1 締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象

2 部屋の片づけも、つい先延ばししてしまい、なかなかできない

3 始業時間や待ち合わせの約束に必ず遅れる遅刻の常習

4 自分が本当にしたいと思っていることを実行しようとする場合、それが難しい

5 青木まりこ現象(書店に入ると便意を催す)

6 自分の好きなものをはっきり言うことはよくないと思うこと

7 自分の食べたいと思っているものを食べることはよくないと思うこと

8 自分が幸福になる資格はないと思うこと

9 引っ越しうつ病

10 昇進うつ病

11 マリッジ・ブルー

12 マタニティー・ブルー

13 内縁関係のふたりが、妻の要望に従って婚姻届を出したとたんに、妻が心身症を発症

14 結婚して子どもがいる夫婦が、そのままではふたりとも心身症状が続くため、意を決して、生活はそのままで離婚届けだけを出したところ、それまでの症状が治まった(逆事例)

15 洋服や電子機器など自分がほしいと思っていたものをようやく購入しても、しまい込んでしまって使わなかったり、何かの理由をつけて、リサイクル・ショップに出してしまう



これらの幸福否定潜在事例について自分をふりかえってみると次のようになります。

1 締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象…20代~40代では強く表れていた。最近は組織の中で活動が少ないせいか、あまり体験しない。

2 部屋の片づけも、つい先延ばししてしまい、なかなかできない…過去も、現在もその気がある。異常なゴミ屋敷状態にはしないが、そうありたいと思う整理整頓が永遠にできない。

3 始業時間や待ち合わせの約束に必ず遅れる遅刻の常習…20代~40代では異常さはないが、遅刻もたまにあった。50代以降はほとんどない。皆無に近い。

4 自分が本当にしたいと思っていることを実行しようとする場合、それが難しい…20代~40代では強く表れていた。50代以降はその困難さが薄らいではいるものの、思い通りの活動ができない。

5 青木まりこ現象(書店に入ると便意を催す)…なし

6 自分の好きなものをはっきり言うことはよくないと思うこと…対人関係の配慮からはっきりいわないこともあるが、それはコミュニケーション技術にも関わってくる。自分の好きなものをはっきり言わなかったから損をしたというようなことはあまりなかったと思う。

7 自分の食べたいと思っているものを食べることはよくないと思うこと…同上

8 自分が幸福になる資格はないと思うこと…なし

9 引っ越しうつ病…なし

10 昇進うつ病…なし

11 マリッジ・ブルー…なし

12 マタニティー・ブルー…男性のためなし

13 内縁関係のふたりが、妻の要望に従って婚姻届を出したとたんに、妻が心身症を発症…なし

14 結婚して子どもがいる夫婦が、そのままではふたりとも心身症状が続くため、意を決して、生活はそのままで離婚届けだけを出したところ、それまでの症状が治まった(逆事例)…なし

15 洋服や電子機器など自分がほしいと思っていたものをようやく購入しても、しまい込んでしまって使わなかったり、何かの理由をつけて、リサイクル・ショップに出してしまう…身なりに興味がないので、高級衣類を購入して、「もったいない」という理屈で結局使わないことがあるが、幸福否定の要素はあまりないと思う。興味のある分野(情報、電子機器等)ではない。




著者がたまたま挙げた15事例のうち、同じような体験をしたことがあるのが1~4の4つということになります。

この自分自身のチェックから、次のような感想を持ちました。

ア 幸福否定潜在事例は万人に共通する割合の高いものと、万人には共通しないものがあるような気がします。

1~4はある程度万人が共通して体験するものだと思います。

5~15はたまたま著者があげた個別事例であり、そうした個々の事例と同じような事例は無数にあり、全ての人が強弱は別に過去に体験していると考えます。


イ このブログでは主に1~4の事例について興味を持って検討を深めたいと思います。

ウ この記事を書く中で、自分の人生年月で幸福否定傾向の強さが変化してきていると感じていることは重要な情報だと思います。

50代以降は幸福否定傾向が減じてきているのではないかと思います。

それは成長か? 老化か?

それが自分だけの特性であるのか? 人一般の特性であるのか?

エ 自分の人生をふりかえって、生活技術と幸福否定傾向との間に関係があるのではないかと想定しています。

しかし、笠原敏雄さんは「いわゆるグズを治す方法を教える本などを読んだとしても、ことはそう簡単ではありません。技術の問題ではないからです。」と書いています。

幸福否定の無意識的意思を弱める上で、「グズを治す本」や生活技術がまったく無関係ではあり得ないと思います。

今後幸福否定事象と「グズを治す本」や生活技術の関係についても着目したいと思います。


次の記事で、「締め切りまぎわにならないと課題に手をつけられない現象」について検討します。

大賀ハス






2016年6月25日土曜日

「幸せを拒む病」の学習方針

心理療法家笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)をテキストにして、自分の生活向上のために得るものがあるかどうか考えながら、学習をしたいと思います。

この図書の目次は次のようになっていますので、とりあえず最初から読みだして、感想が生まれたことについてメモを書いて、それを記事にすることとします。

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笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)目次

はじめに

第1章 身近な出来事に潜む"幸福否定"

第2章 本当の幸福を否定する心のしくみ

第3章 "幸福否定"から見た異常行動や症状のしくみ

第4章 幸福を素直に受け入れるための方法 -"感情の演技"

第5章 従来の人間観を覆す幸福否定理論

参考文献

おわりに

(詳細目次は記事末に掲載。)
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「はじめに」で著者は「締切りまぎわにならないと手がつけられない」とか、「勉強しようとするとゲームをしたくなる」という現象や、「遅刻の常習犯」とか「三日坊主」と呼ばれる行動について、次のようにこの図書の結論を述べています。

これらの諸問題は、一般社会ではだらしがないとか、意志が弱いといった切り口でとらえられている。

しかし実は、心の専門家であっても、それを自力で克服するのは実はきわめて難しいものである。

これらの問題は「誰もが生まれながらにもっている、幸福を否定しようとする強い意志によって起こった現象」であり、「そうした意志を弱めない限り、その解決はきわめて難しい」のである。

そして自らの幸福を否定するような「無意識的意思」を"幸福否定"と呼び、次のように説明しています。

①自らの「無意識の一部」が、自分が幸福の状態にあることを極度に嫌い、その幸福感を意識にのぼらせないような策を講ずる。

②それと並行して、自分が幸福ではないことを自分の意識に言い聞かせるために、目の前に問題を作りあげる。

③その結果として生み出されるのが、心身症や精神病という病気であり、行動の異常である。


著者は長年の活動の中で、この結論を得て、その理論を発展させているのですから、少なくとも著者は幸福を否定するような無意識的意思をかなり弱めていることは確実です。

また著者のクライアントはもとより、著者の理論を参考にして幸福否定の無意識的意思を弱めている人々が数多くいるに違いありません。

そのような著者や著者の思考の影響を受けた人々の活動(生活)を知り、それが幸福(喜び・創造・能力発揮・人格成長等々)につながっているものならば、大いにそれを学習して、自分の生活を改善したいというのが、このブログの趣旨です。

学問としての心理学や治療施術としての心理療法そのものには特別の興味を持たない自分ですが、はたしてどこまで学習が進むのか、本当に生活改善に至ることになるのか、おそらく2-3年以内程度にはその結末が得られるような直観がして、楽しみです。(あまり時間がかかると、寿命が尽きてこの世に自分がいなくなってしまう。)

なお、著者はこの理論を壮大な今西錦司生物進化論の中で捉えようとしているようです。

とても魅力的です。

もし、今西錦司の棲み分け進化論との関係の中で幸福否定現象の意義を捉えられれば、とても面白いことになります。


旭日(花見川弁天橋から)



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笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06) 詳細目次

はじめに

第1章 身近な出来事に潜む"幸福否定"

締切りまぎわにならないと手がつけられない

このうえなく強い抵抗の力

なぜか、絶望的に「片づけられない」人たち

片づけができないのは、技術の問題ではない

「遅刻魔」に共通するふしぎな特徴

"プラス思考"の難しさ

「自分がしたいこと」を実現するのは、とてつもなく難しい

専門家はこのような現象をどう見るか

世に蔓延する「幸福を怖がる症候群」

幸福をじゃまする「楽しさ」という名の悪魔

"幸福否定"という驚くべき心のしくみ

人間は「幸福感」を巧妙かつ確実に遠ざける

現代の定説「ストレス理論」は万能か

歴史的に繰り返される脳神話

「いちばんの幸福」は常に隠ざれる

第2章 本当の幸福を否定する心のしくみ

心の3層構造

「幸福になってはいけない」と願う人たち

なぜか自尊心の低い自己像を作りあげてきた人類

感情には起源の異なる2種類がある

会議で眠気が出るのは「内心」のしわざ

幸福な感情を作らせないようにする心のしくみとは

幸福否定における反応と症状の特徴

心の力によって作られる反応や症状

あらゆる心因性疾患や行動異常の心理的原因となるもの

心理的原因を探り当てたときの変化

「対比」という現象

新型うつ病の心理的メ力ニズム

特殊な対比-"ペットロス症候群"

心因性の症状は幸福のありかを知らせる"指標"

第3章 "幸福否定"から見た異常行動や症状のしくみ

幸福否定という考えかたはどこまで当てはまるか

幸福否定のざまざまな現われ

幸福否定による現象①課題の解決を先送りする

人間は動物よりも劣っているか

懲りない・困らない症候群

幸福否定による現象②自分の進歩や成長を嫌う

締切り間際まで着手が難しい理由

創作活動と抵抗

幸福否定による現象③自他の愛情を受け入れようとしない

マリッジ・ブルー

マタニティー・ブルー

子供の虐待

幸福否定による現象④反省を避ける

反省の本質とは?-麻原彰晃と林郁夫の事例から探る

反省を避けようとするのはなぜか

第4章 幸福を素直に受け入れるための方法 -"感情の演技"

私の心理療法の目的と方法

"感情の演技"によってどのような変化が起こるのか

仕事に関係して起こる変化

私生活の中で起こる変化①行動的側面

私生活の中で起こる変化②心理的側面

感情の演技のやりかた

感情の演技の典型的経過

感情の演技を効果的に行なうコツ

感情の逃げ道をふさいでイメージを描く

心理的原因を絞り込んでいく方法

感情の演技がもつ力

「反応」がもつ重大な意味

内心がしかける「幸福否定」のための隠蔽工作

あまりにも強く抵抗する内心のカ

本当は喜ばしい好転を否定するのはなぜか

意識で納得できる心理的原因は無意味

無意識に潜む真の心理的原因を探り出すためのヒント

心理的原因を突き止める-心因性の発熱の事例

「本当にしたいこと」を探り出す方法

第5章 従来の人間観を覆す幸福否定理論

科学の世界で待ち構えている悪魔の誘惑

「超常的現象に対する否定的態度」は科学者の自己欺隔

科学的理論としての"幸福否定"

革命的な治療理論との出会い

史上最大級の発見をした小坂英世の功績

専門家はなぜ、小坂療法を徹底的に拒絶したのか

驚異的な成果をあげていた小坂教室

目まぐるしい展開をみせる小坂理論

反応を唯一のコンパスとした冒険

自分の意識を説得する手段としての「症状」

内心の抵抗と超常現象

ストレス学説に代わるあらたな考え方

幸福否定の普遍性

参考文献

おわりに

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2016年6月24日金曜日

ブログの開設

2、3年前に今西錦司をキーワードにWEB検索していた時に、笠原敏雄氏の「心の研究室」というサイトに偶然めぐりあいました。

今西錦司と心理療法家のサイトが何故関係するのか、その時はよくわかりませんでした。

しかし、今西錦司や生物進化の話題とは別に、このサイトで扱っている幸福否定という概念が直観的に自分が興味をもつものであることに気が付きました。

その場で強い興味をもってサイトの記事を読みました。

それ以降、サイト「心の研究室」の記事をよみ、あるいは図書館から「幸福否定の構造」等の図書を借りてよみ、さらに興味を深めました。

私が興味を持つ主要な点は、自分が行いたいと希望すること、夢見ることが必ずしも十分にできないことを意識することがままあり、それが幸福否定の構造に関わっているのではないかと考えることです。

そして、そうであるならば、幸福否定の構造を理解して何らかのアクションを執れば、自分のささやかな夢をもう少しましな形で実現できるのではないかと考えます。

そのような思考をしていて時、笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06.20)の出版を知り、早速購入して読み出しました。

読みだして、興味のある文章を読む快感を得て、それで終わってしまってはもったいないと感じました。

折角ですからこの新刊書の記述をじっくりとかんがえながら、自分の生活向上のために得るものがあるかどうか考えたくなりました。

じっくり考える上で、その思考経過をブログ記事にすれば、確実に記録できますから便利です。

ブログを開設すれば、過去の体験から、学習が三日坊主で即終了という可能性も減少します。

そのような思考経緯からこのブログを開設して、笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06.20)の学習・思考を記録することにします。

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06.20)のカバー写真


笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06.20)の2番目のカバー写真

なぜか、この本にはカバーが二重にかかっています。

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06.20)の表紙